2007年憲法改正国民投票
出典: Suzutayu's「べネズエラの政治」
2007年12月2日、チャベス派は重要な選挙で初の敗北を喫した。それがこの憲法改定国民投票である。
1999年憲法との環境の違い
制憲・改憲過程の環境としては、1999年憲法制定過程と似ている部分と似ていない部分があった。似ているのは、1999年の憲法制定会議も、2007年の国民議会も、ほとんどがチャベス派によって占められていたことである。1999年の選挙では、野党が「政党隠し」で候補者個人をばらばらに立候補させ、大量落選を招いた。2005年選挙では、野党が選挙をボイコットして不戦敗となった。どちらも特殊事情が背景にあるが、与党の圧倒多数のもとで作られたことには変わりない。
似ていないのは、憲法案自体の裾野の広さであった。1999年憲法は、制定過程こそチャベス派に壟断されたものの、条文に流れ込んだアイデアはベネズエラの知識人の総力をあげたと言えるものであった。その頃小勢力から急成長したチャベス派は、完全に独自に憲法案を編み出したのではなく、外部の学者・知識人の提案を大量に取り込んで1999年憲法にまとめあげた。そもそも憲法制定国民会議の招集というアイデア自体、チャベス派だけのものではなかった。1999年憲法は、当時の政治・経済の専門家に人気があった市場重視・民営化のアイデアを徹底的に排除したが、だからといって一部左翼に限られたものではなかった。その意味で、チャベスのごり押しに反感を持つ知識人でも、条文の内容には賛同できる箇所が多かった。2007年の改正案にはそうした広がりはなく、チャベス派の政策のためにチャベス派が作り出したとしか言いようがない。このチャベス派はかつての小党派とは段違いの大勢力だが、憲法案には潜在的な反対派まで取り込んでしまうような広がりがなかった。
野党の姿勢も異なった。1999年憲法の承認をとる国民投票では、反対の旗を振ったのは民主行動(AD)だけで、他の野党は沈黙していた。2007年には野党が一致して反対した。チャベス対反チャベスのくっきりはっきり二極対立の構図はここ何年も変わっていない。憲法改正のような、候補者調整の必要がないテーマでは団結も容易であった。
これが国民投票で否決された唯一の理由だとか、否決されたのはもっともだとか言うつもりはない。賛成側が競り勝つ可能性は高かったし、(肌で感じることは適わぬ身ながら)ベネズエラ国内でもどうせチャベス派が勝つだろうというムードは強かったのではないかと想像する。
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