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チャベスのベスト・パートナー

出典: Suzutayu's「べネズエラの政治」

目次

世界一の舌鋒

 現役の国家首脳で一番口が悪い人物は誰か。この問いに即答できる人は少なくあるまい。ベネズエラの大統領、ウゴ・チャベス・フリアスをおいて他にない。

 そもそもチャベスという人物は、最初に当選した1998年の大統領選挙のときから大変な毒舌家で、競争相手のエンリケ・サラス・ロメルをフリホリトと呼んでからかった。サラス・ロメルが愛馬にまたがる颯爽とした姿を売りに選挙キャンペーンに臨んだのをとらえて、馬の名前で呼んだのだ。その2年後、かつての盟友フランシスコ・アリアス・カルデナスが大統領選挙に立つと、彼はチャベスによって裏切り者のユダと呼ばれ、ついにはフリホリト2号にされてしまった。ひどい言葉で政敵をこき下ろすのは、チャベスの演説の特徴の一つであって、身に染み付いた性(さが)というべきである。

彼の演説のもう一つの特徴はその長さにある。2時間、3時間は当たり前で、ついには連続7時間超の記録を打ち立てた。この点、確かにカストロの後継者たる資格を持っている。彼とてもだらだらと人の悪口ばかり言っているわけではないが、演説がとにかく長いので、その一部が悪口でも毎度毎度の悪口となる。週1回のラジオ番組「アロ・プレジデンテ(こんにちは大統領)」でしゃべりまくる中で、侮辱的だったり脅迫的だったりする発言がぽろぽろ出てきても、誰も驚かない。一応は国内のニュースになるが、反チャベスの人はまたかと顔をしかめ、支持者はいつものことと聞き流す。人権団体はチャベスの不穏な発言を毎年非難しており、彼らの批判はまったく正しいのだが、彼らとて、暗殺部隊を野放しにしている国とベネズエラを同列にしているわけではない。

 2006年の国連総会でアメリカのブッシュ大統領の後に演壇に立ち「ここに悪魔がいた」と語ったのは、そうしたチャベスの演説歴の中でも会心の一撃というべきエピソードであった。その2年後には、スペインのアスナル前首相をファシストとこきおろし、スペイン国王に「もう黙らないか」と言われて、ポイントを稼がれた。

 国家元首たるもの、誰に対してでも侮辱的な言葉を浴びせかけるべきではないのであって、早くからチャベスの悪口は報道の自由との関係で国内外の批判を繰り返し受けている。だが彼の悪口は多分に聴衆の受けを狙ったレトリックなので、まったくの冗談ではないとしても、額面通りに受け取るべきものでもない。外交通は「率直な意見交換」という言葉から字面の10倍の険悪さを想像すべきなのだが、ことチャベスの発言に関しては10分の1くらいに割り引かなければなるまい。演説を真に受けて先走ると、「ベネズエラ、IMFから脱退」と一斉に報道され、いっこうに訂正が来ないということになるのだ。

 10分の1に割り引いても、チャベスのメッセージは伝わってくる。チャベスは反帝国主義であり、反ブッシュでもあるが、必ずしも反米ではない。アメリカが帝国主義的でないときにはもう少しましな関係を築けるかもしれない。チャベスはオバマとはうまくやっていけるかもしれないと思っている。しかし、特に期待を寄せているわけではない。

チャベス就任前夜

 民主党への期待には、チャベスの体験的理由がある。1998年、チャベスが大統領選挙に勝利したとき、クリントン大統領はベネズエラの新政権に対して友好のメッセージを送った。

 選挙期間中、ベネズエラとアメリカでは、チャベスが当選すると資本逃避が起こってベネズエラの経済は崩壊する、という噂が流れていた。政敵による悪意の中傷とは限らない。当時の(そして多分に今も)経済アナリストは、市場は神の如きもので、好悪と声を持ち、その機嫌を損ねると災厄を下すと信じていた。反・新自由主義を唱えて立候補したチャベスには、市場に憎まれる要素が満ちていたから、天罰は当選の翌日にも降りかかるだろうと予測できたのである。

 もちろん市場は神ではない。だが、神がいない世界でも、人々が神を信じて行動するなら、不信心者は火あぶりにされ、これこそ天罰だと言われるだろう。不信心者に対して寛容な神が存在する世界でも、信者が神の不寛容を信じて行動するなら同じことである。人々が神の寛容を信じている場合でさえ、人々は周囲の人間の不寛容を怖れなければならない。金融・証券市場を動かす市場心理には、この一番最後のケースがあてはまるところがある。それに、チャベスに反対する富裕層は、世論を動かす上でも、チャベスが当選すればすぐにも経済が破綻するという話を信じてもらえるよう、望まずにはいられなかった。

 当選したときに何かが起こる、と警戒していたのは、チャベスも同じだったと思われる。チャベスはまず、大規模な選挙不正で当選を阻止されるのではないかと疑い、そうなれば暴動だ、と脅しをかけていた。その前の回、1993年の大統領選挙では二大政党の民主行動とコペイが握る選管が投票用紙を破棄するごまかしを行っていたことが知られており、問題は不正が当選者を変えるほど大きいものなのか、という点にかかっていた。混戦となった選挙の発表で、1位になったのは2党のどちらでもないラファエル・カルデラ、2位が民主行動の候補、3位がコペイの候補だった。ならば不正で蹴落とされたのは4位と発表された急進大義のアンドレス・ベラスケスではないか。この疑念はベネズエラの左翼にずっとくすぶり続けた。

 チャベスは、選挙の年の頭に世論調査のトップに躍り出た。選挙戦が本格化するにつれて、チャベスは財界の敵意を取り除くことに心を砕きはじめた。選挙資金の調達のためもあろうし、左翼票を固めた段階で中道の取り込みに動くのは選挙戦略上当然のことでもある。しかしそれだけでなく、経済界の敵意を受ければ就任前に経済がガタガタにされるかもしれない、という警戒もあったのではなかろうか。

 結果的に、不吉な予言は外れた。それは初めからぼやに過ぎないものだったかもしれないが、きれいに消し止められたのは、クリントンがチャベス政権に肩入れする姿勢を見せたからである。選挙監視にあたっていたカーター・センターのカーター元大統領が選挙の公正を認め、クリントンはチャベスの当選を祝福して協力の姿勢を見せた。アメリカと国際金融機関が異端児チャベスを締め付けにかかるのではないかと期待したり警戒したりしていた人たちは、意外な態度に出たアメリカに、拍子抜けしてしまった。アメリカは何もしない。友好的にいこう。ただそれだけのメッセージで、ベネズエラ経済に何も起きないことが確定した。以後のクリントン政権はベネズエラに有利な政策をとらなかった。だが何事もタイミングが重要なのである。

対チャベス太陽政策

 後から振り返ってみれば、これは近年稀にみる効果的な外交行動だったと思われる。政治・外交に限らず、先を見通して打つ予防の一手の力は文字通り計り知れない。我々は事件がおきてはじめて騒ぎ立てる生き物なので、予防の効果が完璧すぎると、そこに何か問題が眠っていたことにすら気づかない。問題として認知することができなければ、測ることも知ることもできない道理である。実際、次の大統領が反対方向に突っ走らなければ、我々はクリントンがしたことを速やかに忘れ去っていたに違いない。誰かが気づいて指摘したとしても、それは怠りなく維持された堤防のおかげで洪水が防げました、という程度の話にしかならない。政治がもし本当に劇場なら、観衆がみな眠りこける退屈なシナリオである。

 チャベス派が1998年の選挙キャンペーンで作った公約文書には、既に反帝国主義という言葉が入っていた。帝国主義に反対、ラテンアメリカと連帯。「反米」という言葉はない。「エスタドス・ウニドス(合衆国)」たる米国を名指しで敵視するような表現はない。だが、中南米の人々が帝国主義という言葉で想起するのはまずアメリカ合衆国なのであって、言わずと知れることではある。

 それがチャベスのオリジナルな世界観である。強大な帝国がラテンアメリカを支配しようと軍事力で脅かし、国内にはそれに迎合する寡頭支配層がいる。この強敵に対して、チャベスと愛国的な人民は敢然と闘う、という世界観である。

 チャベスが唱えるボリバル主義は、内容が曖昧で空疎なものだとよく言われる。それはその通りで、チャベスにもチャベス派の人たちにも、彼ら独特の理論や思想はない。反米的なところはキューバが先行しているし、様々な社会政策の多くは、アイデアとしては自国と近隣諸国で既に試みられていたことで、それに思い切った予算をつけて国策に据えたものである。だからボリバル主義の詮索にはあまり意味がないのだが、一つだけ、ボリバルとチャベスを確かにつなげる共通点がある。強国の支配に対し決死の覚悟で戦い抜くヒロイズム。ボリバルの主義というより、ボリバルの気分というべきか。

 さてこのくだり、間違って読んではいけない。私はチャベスがボリバルと肩を並べる偉人だと言いたいのではない。ボリバルが過激な男なのである。ボリバルの偉大さは主に、ばらばらに生まれたり粉砕されたりした政府と部隊を越え、統一戦略による戦いに引きずっていったところにある。任命されたからとか、実力をバックにとかいうのではなく、英雄は英雄的に振舞うという自覚のもとに、ボリバルは小さな政治・軍事闘争に従事する者たちを自分が描いた大戦略に巻き込んでいった。最終的に彼は大コロンビアの大統領になったが、そのような地位を手に入れるはるか前から、彼は南米北部全域の戦争指導をしている気分になっていた。戦いを始めては嵐の目になり、勝てばその戦果によって舞い上がり、負ければ負けたで再起の構想を打ち上げ、他の政治家・軍人を自分の部下か、格下の人物にしてしまった。出発点は誇大妄想といっていいが、現実が彼に従って動いたのだから仕方がない。

 私が思うに、誇大妄想とそこそこの才能は、英雄の個人的条件である。しかしそうした個人がいるというだけなら、世の中には精神の均衡が危うい人もいるなあ、というだけのことである。個人の能力と別の問題として、たまたま現実が彼の誇大な妄想に合致してしまう、という偶然があって、はじめて英雄が生まれる。

 そういう意味では、この時代に反米・反帝国主義は現実というより過去の中にあった。クリントン政権は、それまでの反共主義にもとづく軍事介入や内政干渉工作を停止し、文民政権の行方を静観した。クリントンは自らの政権期にセルビア空爆とアフガニスタン・スーダンへのミサイル攻撃を起こしたが、それ自体が及び腰という評を受けた。彼より前の共和党政権は、ラテンアメリカ全域で軍事政権を支援し、中米・カリブに直接軍事力を行使したが、クリントンは中南米に手出しをしなかった。それどころか、クリントンは1999年にグアテマラを訪問して、虐殺を続けたグアテマラの軍事政権を支援したことについて謝罪したのである。

 これではチャベスにも戦いようがない。チャベスは、親米・親西側寄りの第三世界主義をとった従来の外交からの転換し、中国・ロシアなど米国と距離をおく諸国との関係を政治経済両面で改善した。だが、当の米国が中・ロとの関係を改善している中では、ベネズエラの転換も発展著しいアジアや新生ロシア・東欧への多角化という、常識的な解釈の中におさまってしまう。チャベスが唯一明確にアメリカの神経を逆撫でしたのは、2000年のイラク訪問、フセイン大統領との会談であったが、それも一個のエピソードとして流れ去った。

 当時の外務大臣は老練のホセ・ビセンテ・ランヘル。彼の役割は、大統領の好き放題な発言を、取り繕ったり否定したりして、火種を消して回ることであった。この頃のチャベス外交は、少々頭がおかしな政治家のおかしな振る舞い、とさえ見えるものがあった。チャベスの非難のトーンも後から振り返ればまだ低く、抽象的に多国籍資本と寡頭支配層を批判しても、クリントンやアメリカ合衆国に直接舌鋒を向けることはなかった。クリントンに対する借りの意識は、釈然としないものとしてチャベスの中にあったようである。

ブッシュの二分法とクーデター工作

 ブッシュの当選・就任は、米国の世界外交の質を変え、ベネズエラとの関係も変えた。ブッシュは米国の軍事覇権を存分に振るう帝国主義政策を開始した。そのはじまりが、就任した2001年のアフガニスタン侵攻であり、続いて2003年のイラク侵攻であったことは、いまさら筆者が指摘するまでもない。ここにおいてチャベスが描いていた世界が具現した。悪のアメリカ帝国主義と、それに抗して戦う正義の人民である。

 が、現実は、そんな単純な二分法で割り切れるものではない。ビン・ラディンとチャベスには、目的の点でも手段の点でも思想的共通点がない。ラテンアメリカはヨーロッパと北アメリカの思想の圧倒的な影響下にあり、欧米と違う原理の土着思想は自立せず、今に至るまで、欧米の寛容や欧米内部の思想的分裂に寄り添う形でしか自己主張できない傾向にある。アジアの権力者は「西欧流の人権思想はわが国にはなじまない」と言うが、ラテンアメリカでそういう発言を公にすることはほぼ不可能である。

 ニューヨークで大規模テロが起きた日の夜、チャベスは極めて強い調子でテロを非難し、すべての人に神の加護を祈った。犠牲者とその家族に。また「彼らの行動に何の道理もないとしても、彼らも人間であったのだからして、テロリストのために」。続いてブッシュが敵が不明なまま戦争を宣言し、我々の味方でない者はテロリストの味方だ、と啖呵を切ったところで、チャベスはブッシュに味方しない態度を鮮明にした。テロは犯罪として処罰すべきであって、戦争を起こして無実の人を巻き込むべきではないというのである。これはまた唐突に、チャベスらしからぬまっとうな態度である。だがこのようなまっとうなことを言う政治指導者は、当時の世界に多くなかった。

 アメリカの味方かテロリストの味方か、という二分法は、ブッシュが押し付けようとした虚偽の世界認識、つまりは悪い意味でのイデオロギーであった。その目的は、アメリカの味方でもテロリストの味方でもない中間派を黙らせ、アメリカの覇権が全世界に承認されているような外観を作り上げることにあった。そうすれば、少数の敵を孤立させ、嫌いな国を好きな時にとりあげて攻撃することができる。最初はアフガニスタン。それがうまくいくとイラクで、イラクが片付けばまたその次に行く。イラクの次には、シリア、イラン、北朝鮮とともに、ベネズエラも取り沙汰された。

 ブッシュの二分法は、「南」の中小国の政権によって、国内反政府派への弾圧を強化するために大いに活用された。そうした動きに同調しなかった国は、戦争に反対の気分を持っていたが、強国が振りかざす二分法を前に黙り込んだ。次の標的にされることを覚悟しなければ、中小国はこの戦争の連鎖に反対することはできない。キューバのような既にアメリカの敵とされている国か、ベネズエラのような敵とされることを辞さない国だけが、中間派の立場を明確に表明できた。もちろん、中間派の存在を認めないイデオロギーの中で、それは中間派ではなく敵である。沈黙する小国の気分を代弁したベネズエラは、キューバだけが友達という状態で、これ以上ないというくらい、孤立していた。

 さて、チャベスが対テロ戦争に反対したその直後、2001年の秋頃からベネズエラの反政府運動は勢いづき、年末の市民ストを経て、2002年4月のクーデター未遂になだれ込むことになる。この順序を単純に結びつけ、チャベスが前年の戦争に反対したから、アメリカがクーデター工作に乗り出した、と見てよいかはわからない。もともとベネズエラ国内にはチャベスに対する反感が潜在しており、人気の衰えをとらえて噴出する素地はあった。また別に、アメリカの共和党議員は、クリントン時代から、ベネズエラに対して何らかの制裁を行うべきだ、という意見を出しており、米国の関与がもっと前にあってもおかしくはない。

 ともかく、反チャベス運動が盛り上がりを見せると、米国政府は公式の声明でベネズエラの政情を「憂慮」しまくった。反チャベス派が指弾したのは、未利用地・低利用地を没収する農地改革法、国有石油会社に対する政府管理の強化、私立学校に対する政府の監督強化、そしてチャベスの独善的な発言・態度である。こうした政策に国内から強い反対が起きたのはいいとして、他国がそれに肩入れしてよいことではない。いかに大規模とはいえ流血の惨事があったわけでもない、いつも世界のどこかで起こっているような平和的なストライキとデモを、外国政府が重大な混乱であるかのように煽り立てたのは、異様なものがあった。続いて、軍内部でチャベスに反対する者がいるという噂や、チャベス辞任を求める少数軍人の声明が出てきた。米国政府は軍人の動きに直接の支持は与えなかったが、批判することもなく、ひたすら事態を「憂慮」し、その責任はベネズエラ政府にあると言いつのった。

孤立とチャベスの二分法

 2001年秋から翌年春にかけて。選挙で大勝を得てから1年しかたっていないのに、チャベスは孤立を深めていった。反対運動が盛り上がっただけではない。政権内部から反政府派に転じる政治家が続出した。比較的早く脱落したのが、フランシスコ・アリアス・カルデナスら軍の同志でチャベスと同格と思っていた人物。続いて社会主義運動(MAS)が反政府派に回った。与党の人気政治家として登場しカラカス大都市地区の市長をしていたアルフレド・ペニャも反チャベスの急先鋒になった。チャベスが特に信頼していたルイス・ミキレナは、党内対立から退き、続いて反政府側に転じた。

 当選時に様々な希望を寄せ合った連合から、同床異夢を悟った人たちが剥がれ落ち、人気の衰えが離反を加速する、というのは大統領制でよくあるプロセスで、必ずしもチャベスに限った話ではない。しかし急速な孤立は大部分、チャベス自身の非妥協的な態度が招いたことであった。

 チャベス派対反チャベス派という対立は、彼の最初の大統領選挙のときからだいたい出来上がってはいたが、政策的にみるとそれで単純に二分されていたわけではなかった。反チャベス派とくくられる政治家の中には、社会的・経済的平等や貧困対策を重視する左寄りの経済政策、既成政党の腐敗に対する攻撃において、チャベス派と同様の考えを抱いていた部分があった。

 1990年代のベネズエラでは、学者・評論家まで含めた政治エリートの間では、国家の役割を縮小する改革が必要だという意見が勢いを得ていた。そのような意見が政界レベルで圧倒的な強みを持ち、しかし国民の支持はごく小さいというギャップが、チャベス出現の背景にあるのだが、それはともかくとして、そこには当然、改革に抵抗する政治家もいたのである。反・新自由主義の気分を持つ政治家は、様々なニュアンスの違いを持ちながら全政党的に残存していた。

 政治改革をめぐる議論も、チャベス対反チャベスという対立で単純に区分されていたわけではない。新憲法が持つ先進的な条項には賛同者が多かった。反対を受けたのは大統領権力の強化と中央集権の維持だったが、それは与党内でも固まっていたテーマではなかった。

 だから、純粋に政策だけから言えば、野党の一部にはチャベスに協力したり交渉したりする余地はあった。伝統的にベネズエラでは少数与党が珍しくないので、連立や政策ごとの協力の経験は豊富にある。政府与党からみれば切り崩し可能ということである。党をあげて中間派たろうとした急進大義 (LCR)のほか、 与野党の個々の議員に交渉による打開や解決を求める動きがあり、対立が頂点に達した2002年から2003年にもそのような動きは止まなかった。

 そうした動きを全部無視して事を進めたのは、チャベスである。大きな政策決定でも、日々の言動でも、チャベスは交渉・対話の可能性をまったく無視してごり押しするばかりであった。自らの口で「我々の味方でなければ寡頭支配層の味方だ」と広言したわけではないが、自分の味方のほかには寡頭支配層の味方しか存在しないかのように語り、政敵を攻撃した。当初はチャベス自身の絶大な人気をバックに、後には憲法制定会議と国民議会の過半数によって、どういう態度をとろうとチャベスは自分の意思を押し通すことができた。しかしその結果として、本来ばらばらであり、ばらばらに行動したがっていた野党が、チャベスの二分法によって一つの反チャベス派に押し固められていった。味方からも、独善的な態度についていけないと感じた人が離れていった。2001年の末、チャベス人気の衰えをみて反撃を開始した彼らは、自分たちの街頭動員力が意外にもチャベス派を上回る多数であることを知った。

ブッシュの凋落とチャベスの威信

 2002年4月のクーデターに対して、ラテンアメリカ諸国は冷淡な態度をとり、歓迎したアメリカ合衆国(およびIMF) とくっきり対照をなした。クーデターが失敗に終わり、アメリカの関与が明らかになってから、ラテンアメリカに対する米国の外交的影響力は底なしに下落しはじめた。

 クーデターはあらかじめ失敗を運命づけられていたわけではない。大衆抗議の後に軍部が辞任を強要し、大統領が亡命するという筋書きのクーデターは、過去のベネズエラで何度も成功裏に演じられてきた。大統領を拘束するところまでいけば、従来の中南米のクーデターではもう詰んだゲームになっていた。拉致した大統領を基地におかず、直ちに海外に飛ばしてしまえば、後はどうとでもなったかもしれない。

 クーデターが成功すればどうなったのかという「オールタナティブな」世界を考えてみよう。チャベスは時代遅れの勘違い男とされ、ラテンアメリカ諸国には市場重視と経済開放の以外の選択肢はありえないという「常識」が、改めて確認され終わっただろう。逆に言えば、チャベスは生き延びることで、経済的にも政治的にも新自由主義の拒絶が可能であることを近隣諸国に知らしめたのであった。

 クーデター工作が失敗した後も、アメリカはベネズエラの反政府勢力に対する働きかけを止めなかった。言いたい放題で悪目立ちするチャベスに、演説下手のブッシュは自分では応戦せず、部下に形式的答弁をさせながら、裏で謀略をめぐらせた。

 2002年末から翌年初めの石油ストのときには、就任したばかりのブラジルのルーラ大統領が、ベネズエラにタンカーを送って政府側を支援した。当選前後のルーラについても、当選前後のチャベス同様、果たして左寄りの政策を打ち出すのか、打ち出せるのか、という疑いが長くまとわりついていた。同じ左派でもルーラとチャベスの温度差は当時も今も大きいが、だからこそブラジルにとってベネズエラは弾除けとして有用になる。急進的なベネズエラと穏健なブラジルの間を分断するという戦略をアメリカが弄んでいる間は、少しチャベスと距離をおくだけで妨害なしに自分の政策を進められるというものである。

 ボリビアの危機に際しても地域諸国はモラレス政権支持でまとまった。ラテンアメリカ諸国の民主化は軍部の半ば自発的な撤退という形でなされたので、どの国も状況次第でいつまた軍部に脅かされるかわからない危うさを抱えている。アメリカの影響力は、国際金融機関と連携した経済的締め付けという面でも、国内軍部・野党を通じた政治的揺さぶりという面でも、侮りがたい。両方ともあまりに重い脅威なので、干渉を拒否できないと見れば弱腰にならざるをえないが、やりようによっては拒否できると踏めば遮断に動く。

 中南米諸国がブッシュのアメリカに対して示した限りない冷淡さは、転覆工作に対する反発であり、クーデター成功を許せばすぐにでも自国に波及してくるという警戒であった。国際会議でのアメリカの孤立ぶりはまったく目を覆わんばかりである。米国の中南米に対する外交的影響力はおそらく過去最低、つまり独立以後最低の水準にまで落ち込んだのではあるまいか。

 その逆に、ベネズエラの外交的影響力は、人口3000万に満たない国には不相応なほど大きくなった。ブッシュの二分法は、従わない者を孤立させて撃つための方策だったが、孤立させられた者を大舞台に立たせる効果も持っていたようである。直後に攻め滅ぼしてしまえば、死人に口なしで取り繕えるが、チャベスは生き残ってしまった。危機を乗り切るまで反米的発言を抑制していたチャベスは、2003年頃から反ブッシュを外交・内政両面で前面に押し出すようになった。クーデターを民衆の力ではねのけた輝かしい経歴を背景に演説を打てば、それはもう今までのような放言ではない。アメリカが悪の帝国主義として振る舞う世界は、チャベスに適合的な世界である。それは、ブッシュが作ってくれた世界なのである。

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