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3度めのベネズエラ例外説

出典: Suzutayu's「べネズエラの政治」

目次

1度めの例外: 民主主義の安定

似通った文化と歴史を持つ二十数か国を擁するラテンアメリカは、二十世紀後半の政治学を牽引した様々なモデルが誕生し、検証された地である。19世紀の独立以来、ラテンアメリカではほぼ同時期に同じ方向への体制移行をとげる諸国がいくつも現れ、比較政治学が興隆した20世紀後半もその点では変わらなかった。そこで、諸国の共通点を手がかりに新しいモデルが構築され、各国の間の微妙な違いが何に起因するかについて様々な論争が生まれた。

これに対して、多様な文化と歴史を持つアジア諸国は、ラテンアメリカ諸国とはよほど条件が異なる。比較政治学は似ていない国の比較から意味ある命題をくみとる方法も持っているが、その場合、単発の優れた研究にとどまるか、単純な一般論になってしまって、後続研究の深化・拡大という観点からは刺激に乏しいものになりやすい。ラテンアメリカがヨーロッパと並んで比較政治学のゆりかごとされるのは、理由があってのことである。

「ベネズエラ例外説 (Venezuelan Exceptionalism)」は、そのラテンアメリカ研究者の間で、学説というより業界用語的に用いられた言葉である。ラテンアメリカに軍事政権が次々に樹立された1970年代に、ベネズエラは安定した民主主義をもって揺るがぬ二国のうちの一つであった。一つは小国コスタリカで、中規模の諸国を比較した研究者からはしばしばあっさり無視された。コロンビアには、表面的には二大政党が政権交代する民主主義が存在したが、左翼ゲリラが活発なところを安定した政治システムと認定することはできなかった。メキシコでは文民政権が継続していたが、制度的革命党(PRI)がヘゲモニーを握る権威主義体制であるとみなされていた。

南米を覆う軍事政権の影に抗して、ベネズエラだけが文民民主主義体制を維持している事実を、ベネズエラ人は「ベネデモクラシア (Venedemocracia) 」と呼んで誇りにした。しかしこれは比較政治学者にとってまことに説明しにくい現象であった。軍政の脅威に動揺しつつなんとか持ちこたえているというような状態ならまだわかるのだが、揺るぎなき安定はどういうことだろうか。研究の関心が次の時代に移った現段階でも、未だにすっきり片付いたとは言えない難問である。

その理由として有力視されたのが石油収入で、ベネズエラは石油のおかげで体制の安定を得たとされた。石油輸出国では民主主義が安定するという命題を比較政治学の観点から定立するためには、他の石油輸出国の政治体制で同じことが言えるかを確かめなければならない。その結果、直ちに民主主義と縁遠い君主国を多数発見することになり、ベネズエラはその中で例外的な民主主義体制なのであった。石油説はどこかに欠陥があり、ラテンアメリカだけに視野を狭めたときにだけ妥当と感じられるものだと言わざるを得ない。

2度めの例外: 民主主義の不安定

それから時が過ぎて1980年代後半、ラテンアメリカに民主化の波が到来すると、「ベネズエラ例外説の終わり」が語られるようになった。ベネズエラもやがて他国と並んで民主主義体制の一国として分析されるようになるだろうという予測である。

だがその期待は1989年のカラカス暴動(カラカソ)、1992年の二度にわたるクーデター未遂によって砕かれた。他の諸国が民主主義への移行とその定着に向けて着実な道をたどっているときに、ベネズエラで起きたのは民主主義体制の深刻な危機であった。ベネズエラ例外説は終わらず、ただ次の段階に入っただけであった。

こうなると石油の恩恵への強調はなくなり、石油依存が体制を脆弱にしたと言う説がとって変わった。レント経済説である。これまでは潤沢な石油収入がベネズエラ人を平静にさせていたが、石油価格が下落して期待した分配にあずかれなくなると、不満が募って体制を揺るがせたと言う。ベネズエラの民主主義は、実はいびつで脆弱で、民衆を排除したところにあったというのである。この議論は、国家の経済介入・保護が経済をだめにしたという批判と、社会問題の解決に国家の介入や補助金を期待する国民の依存心への批判をあわせもち、1990年代には社会支出削減と国営石油会社の脱ベネズエラ化の理論的支柱になった。

ラテンアメリカにはベネズエラほど石油輸出に依存する国はないから、レント説がもっともらしく響くが、他の石油輸出国に類例がないのは石油説と同じである。レント説は、国家に対する人々の依存心を想定するのだから、単に経済悪化が政治への不満を招くという以上の顕著な動揺が現れて良いはずである。そうしたものが現れたのはベネズエラだけなのだとしたら、レント説はラテンアメリカの中で特にベネズエラだけ、石油輸出依存国の中で特にベネズエラだけにあてはまることになる。ラテンアメリカ唯一になった理由は石油のせいだというのがレント説なのだが、石油輸出依存国唯一になった理由は説明できない。

このような学史をたどると、仮説のもっともらしさとその確かさの間に隔たりがあることがよくわかる。その時その時の流れに表面的に合致する説が次々と登場し、人々は過去の説を単に投げ捨て、歴史を書き換えることで現在に適応している。

実際、ベネズエラ一国の一時代にだけ没頭しているかぎり、石油説の限界に気づくことはかなり困難ではないかと思われる。ベネズエラにとって石油が重要なことは明らかだから、政治を石油が支配していることを筋道だてて語る説明には非常な説得力がある。

だが、時系列比較をとることで、別の言い方をすれば歴史的思考をとることで、単純素朴な石油説は退けることができるはずである。「前の時代は間違っていたから」というだけでは、前の時代の安定を説明できない。何十年か安定していたものが急激に崩壊したという場合には、安定と不安定の両面を同時説明する理論が求められる。片方だけしか説明できない理論は、どこかおかしいし、一つの要素で正反対の二つを無頓着に説明する論は無意味である。

ラテンアメリカには、そんなときにも時代変化を理屈抜きで説明するために使える便利な言葉がある。「枯渇 (agotamiento)」である。日本語ではかつて流行した「制度疲労」にあたるだろうか。たとえば、過去に成功したレント経済が1980年代にうまくいかなくなったのは、レント・モデルの枯渇のためである、と説明される。社会制度に量的限界や賞味期限があるわけはないのだから、枯渇は喩えでしかなく、具体的に何がどう変わったのかの説明が続かなければならないはずだが、残念なことにしばしば「枯渇」で説明は終わってしまうのである。

3度めの例外: 左翼政権

そして1998年に、ベネズエラは例外の第三局面に突入した。ウゴ・チャベスの登場である。チャベスが旧来の政治家とかけ離れたところからきたアウトサイダーであったことは、この際例外にはならない。ペルーのフジモリは議会を解散する自主クーデターを行って支持を集めたし、アルゼンチンのメネムは委任民主主義の典型とされていた。個人人気に頼った大統領が独断で改革を推進するのは、当時のラテンアメリカで珍しくない一大特徴で、ネオ・ポピュリズムなどとして関心を集めていた。

例外だったのは、これが左翼政権だったことである。この時期、他のラテンアメリカでは貿易と金融を開放・自由化し、民営化を進め、国家の経済介入を削減する改革が進んでいた。そこで注目を集めたのは、その改革が選挙で誰が勝つかと関係なく進められたことである。当時のラテンアメリカでは、それまで左と思われていた政党や政治家が市場重視と民営化の旗を振る改革者に転じる事件が度々起こっていた。ところがチャベスが新自由主義的な改革を停止させ、貧困層向けの社会政策を重要政策に据えると、ベネズエラは改革に反対する特異な国として際立つことになった。

2002年までチャベス政権は例外的存在だったから、その成立の原因の探求にあたっては例外的、個別的原因だけが捜し求められた。貧しい人々の支持を得たというのは、説明として不十分と思われた。他の諸国の貧しい人々は、みな市場志向の改革に従順で異議を唱えていないのだから。ことさらベネズエラ人だけが「時代遅れ」の左翼的メッセージに応えたのには何か特別な事情があるのだと思われたのである。

ラテンアメリカに左翼や中道左派政権の政権が次々樹立された2007年現在、ベネズエラが一国まるごと例外とみなされる時期は過ぎ去った。特殊ベネズエラだけにあてはまる事柄を探し出し、これこそチャベス政権成立の原因であると説くような論では、納得を得られるか疑わしい。ボリビア、エクアドルにも共通する要素を指摘するのでなければ、比較政治学者を満足させることはできないであろう。

例外説の終わりに接して

筆者がおもしろいとも困ったとも思うのは、例外の時点から見るときと例外でない時点から見るときとで、チャベス政権の出現に対して発すべき「問い」と「答え」のセットが変化するということである。

たとえば2000年の時点に立ってチャベス政権を生みだした原因を探るときには、普遍的な要素は軽視される。貧富格差を生む社会構造のようなどこの国にも共通する要素に注目した場合、たとえその論証に成功したとしても、たいした意義を認められないだろう。「そうかもしれないが、では似たような他国で左翼が不振なのはなぜか」と問われると反論しようがない。ベネズエラだけに限られる例外的要素こそ重視されるべきもので、普遍的な要素の探求はピント外れのそしりを免れまい。

2006年の時点に立つ場合には、逆に特殊ベネズエラ的説明は軽視されることになろう。事実としては、危機を乗り越えるたびにカリスマとしてのチャベスの力は強まっていったのだが、皮肉なことに、説明要素としてチャベス個人の特異性を挙げる研究の人気は低落する一方であった。それは一個の解釈ではあっても政治学的説明ではない、と一蹴されかねないものがある。時宜を得たと言えるのは、やはりラテンアメリカ諸国左傾化の先駆としてベネズエラを取り上げるものであろう。

各時点での見方には、方法的に不健全なところはないようだが、この変化が私にはどうにも気持ちが悪い。私はその昔(といってもほんの5年前くらいか)、1990年代のベネズエラの政治変動の理解には階級的・経済政策的対立が鍵になるという考えを固め、しかしそういう見方が主流ではないことも知って、今までもたもた停滞していた。その後の急激な変化は、私の考えをあっさり陳腐化してしまう勢いで進んだが、取り残された身としては、果たしてこんなものなのかと首を傾げたくなる。1998年のベネズエラは2000年から見ようと2006年から見ようと1998年のベネズエラなのであって、時とともに変化することはないはずである。政治研究は現実と離れてはありえず、理論と事実が違うときには事実に従うべきなのだが、その現実・事実とは現政権でも現在の流行思想でもあるまい。すっきりしないのである。

"http://suzutayu.s156.xrea.com/Venezuela/index.php/3%E5%BA%A6%E3%82%81%E3%81%AE%E3%83%99%E3%83%8D%E3%82%BA%E3%82%A8%E3%83%A9%E4%BE%8B%E5%A4%96%E8%AA%AC" より作成

このページは 1,386 回アクセスされました。 最終更新 2007年2月8日 (木) 02:09。 Content is available under 帰属-派生禁止 2.5 .


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