2006年大統領選挙
出典: Suzutayu's「べネズエラの政治」
2006年12月3日に、大統領選挙が実施された。95%開票時点でウゴ・チャベス大統領が63%の票を得た。次位のマヌエル・ロサレス候補はこの時点で37%。大差でチャベスの再選が確定した。
選挙ボイコットで全議席が与党のものになった2005年の翌年である。連敗続きの野党陣営は、暗い見通しのまま準備を進めざるをえなかった。準備は候補の選定から混迷した。2003年、2004年には、ミランダ州知事エンリケ・メンドサが最有力視されていたのだが、彼は2004年地方選挙で州知事に落選した。チャベスの部下に勝てないようでは、親玉に勝てるわけもない。長らく立候補表明をためらっていたメンドサは、結局そのままあきらめた
スマテは野党候補の一本化のために予備選挙を実施すると宣言した。皆乗り気だったはずなのだが、結局実施されなかった。8月に話し合いで決められたのは、スリア州知事マヌエル・ロサレスだった。
ロサレスは個人政党「新しい時」を基盤としており、スリア州以外に組織を持たない。投票日まで4か月を切ってはじめて候補が決まり、やっとキャンペーンを始めた。8月段階でのロサレスの世論調査での支持は10パーセントとも20パーセントともいう。野党支持層をすばやくまとめあげ、さらにチャベス支持を切り崩さなければ当選できない。結局、チャベス再選が固いとするのが大方の観測であった。
注視すべきは二点。ロサレスは石油の富を国民に分ける政策を提唱した。実質的に、チャベス政権がしてきたことと変わりない。公約をみるかぎり、左の候補と左の候補の選択である。反チャベス派の選挙民は、チャベスの政策に反対しているはずだが、これでいいのだろうか。政治家が時流に乗りすぎるため、選挙が政策を選ぶ場として機能しないというのは、ずっと続いているベネズエラ政治の欠陥である。
もう一つは、野党が選挙結果を認めるかである。2004年の国民投票のときのように、野党が選挙結果を否定する可能性があった。中間発表の直後、ロサレス候補は自らの落選を認めたが、実際にはもっと僅差だったと主張した。翌日には将来を語り始め、さばさばしたものだ。
チャベス政権は、公約に従って、3選禁止を定めた憲法を変える討議にとりかかった。
![[メインページ]](/Venezuela/skins/common/images/wiki.png)