2002年10月市民スト
出典: Suzutayu's「べネズエラの政治」
Paro Cívico
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概要
ベネズエラの労働組合・経営者団体・野党の三者共同で実施した10月10日の反政府デモは、チャベス大統領の即時辞任と選挙を要求するものだった。その場で、組合は、要求が容れられなければゼネストを行うと宣言した。21日に実施されたゼネストには国民の相当数が参加し、交通機関は動いたものの、街の商店はほとんど閉まった。ストライキの翌日に、将軍たちがチャベス政府辞任を要求して合法的不服従を始めた。
ストライキの要求と各勢力の反応
ストの予告は、10月10日にベネズエラ労働者総連盟(CTV)のオルテガ会長によって発せられた。16日までにチャベスが辞任と選挙を認めなければ、21日にストに入るというものである。ベネズエラ商工会議所連盟(フェデカマラス)のフェルナンデス会長がただちにこれを支持した。だが、野党の中にはこの日の宣言内容を事前に知らなかったものもあった。オルテガとフェルナンデスは反政府派の強硬な部分を代表している。
10日のデモに対抗して計画した13日の政府支持デモで、チャベスはCTVの要求を拒絶した。このストはクーデター派の計画だと決め付け、国民に参加しないよう呼びかけた。その後、自身はヨーロッパ外遊の旅に出て、外国で新自由主義反対の演説をして回った。
チャベスの拒絶を受け、CTVは15日に傘下の組合連盟と会合してストライキを決定した。10月21日の午前6時から午後1時までの時限ストである。その後、2時から各地で集会を実施する予定となった。このストは、「ウゴ・チャベス・フリアスの権威主義政府を拒否するすべてのベネズエラ人の抗議」となる。CTVのコバ書記長は、このストが「暴力に対して暴力を」用いる性格のものではなく、平和的なものだと強調した。[EU:10/21]
野党による国家再建統一政府協定
10日のストライキの後、野党と市民団体で構成される「民主調整者」は、チャベス後の移行政府を用意するための計画作りに着手した。15日に16の政党と32の市民団体がこの「国家再建統一政府協定」に署名した。これはまったく平和的な性格のもので、今のところ紙切れ一枚でしかないが、何らかの事情でチャベス政府が倒れたときに、民主調整者への引き継ぎをスムーズにしてくれる。念頭には、クーデター後のこともあるだろう。
大統領機撃墜計画
外遊から帰ってきたチャベスは、自分に対する暗殺計画があったと発表した。それによると、チャベスが乗った帰国の飛行機を対戦車バズーカで撃墜する計画が探知されたので、着陸空港を変更して事なきを得たと言う。犯人は逮捕されなかった。反政府派は嘘だろうと言い返した。反政府行動の直前というタイミングはテヘラ事件と同じで、そうした勘ぐりがあってもおかしくない。だが、テヘラ事件と同じなら、これも根も葉もない嘘ではないのかもしれない。[EU:10/21]
チャベスは、ストの計画者を「テロリスト」「クーデター派」と呼び、特にフェデカマラスのフェルナンデス会長を「カルモナ2世」と呼んで非難した。カルモナとは前会長で4月にクーデター政府の臨時大統領になった人物である。チャベスはフェルナンデスを、陸軍を使ってチャベスを追い出し、人々を虐殺しようと企んでいると言うのだった。[EU:10/21]
10月21日の12時間スト
ゼネストには国民の多数が参加した。商店は閉まり、カラカスの交通は閑散とした。テレビは街の静かな様子を放映した。石油と交通機関は実質的に呼応しなかった。経済への打撃は最小限だったが、人々の意思を示す点では、おおむねゼネストは成功したとみてよい。70%から80%が停止したとCTV等関係者は評価した。ストに乗じて地方都市で略奪騒ぎがあったが、22日夜に収まった。ストライキは、チャベス政権への反対の広がりをふたたび示した。しかしこれだけで政府を辞任においこめるものでもなかった。
ストの限界には、石油産業の不参加がある。政府は2002年春に「ベネズエラ石油(Pdvsa)」の経営陣を更迭した。これに対し、公社人事の政治化を批判して、旧経営陣と管理職・ホワイトカラー従業員が抗議を繰り返した。4月クーデターに至る危機の一要素である。しかし、労働者は必ずしも同調せず、石油労働者連盟(フェデペトラス)は今回のストに不参加を決めた。ちなみにCTVを構成する連盟・単組の中で、鉄鋼・地下鉄・公務員・石油は、与党系の人物が会長職を握っている[Pri:10/13]。
- EU: El Universal OnLine
- Pri: Primicia
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