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首都警察への介入

出典: Suzutayu's「べネズエラの政治」

Intervención a la Policía Metropolitana

目次

概要

  反政府派のペニャ大市長の指揮下にある首都警察では、2002年9月から市長に反対する警官がストライキを行なっていた。ストライキは参加人数が絶対的に少なく、効果が薄かった。

 この動きと別に、11月12日に政治支持派集団がペニャの執務する庁舎の入り口を一時占拠する事件が起きた。首都警察がこれを排除したときに銃撃戦になり、占拠集団の一人が死亡した。

 政府はこれを口実にして、11月16日に、国家警備隊と陸軍を動かしてあちこちの首都警察の建物を包囲し、ビバス首都警察長官を罷免した。警察本部と機械化隊の建物の前には、兵士が駐留して、大型武器 (散弾銃・短機関銃・ライフル銃) や暴徒鎮圧用装備を持っての出動を制止した。反政府派は、裁判所に提訴し、デモを起こして抗議した。

 12月初めに政府は人事介入を取り下げ、ペニャ市長に首都警察の指揮権を返還した。裁判所は、介入中に持ち去られた装備の返還と、スト警官の占拠した部屋の明け渡しを命じた。首都警察の機能はビバス長官の下で回復した。しかし兵士の駐留はそのままだった。

 翌年、2003年の1月14日に、軍が首都警察の武器置き場に押し入り、大型武器を持ち去った。裁判所の判決に反する今回の押収には、もはや遵法のみせかけもなかった。軍は、騒擾が予想される2月初めまで武器を返さないと通告した。

首都警察のストライキ(2002年9月から)

 カラカスでは、2002年9月から、首都警察の警官の一部がストライキを繰り返し、待遇改善に加えて、長官の罷免を要求していた。スト警官は、警察作戦センター (Centro de Operaciones Policiales, 主要管制室) を占拠したり[EN:10/18]、ハンストをしてみたりもしたが[EN:10/13]、参加人数が約20人、せいぜい約80人[EN:11/18]しかおらず (首都警察の職員は約8千人 [NYT:11/18]) で、都知事と首都警察にとって致命的な障害ではなかった。

 ストライキの不調にもかかわらず、彼らは10月25日にほとんど破れかぶれの要求を持ち出した。警察首脳217人の更迭、首都警察の内務司法省への移管、特別隊 (Brigada Especial) ・機械化隊 (Brigada Motorizada) ・女性隊 (Brigada Feminina) の廃止である。特別隊は408人で構成されパトカーに乗り、機械化隊は630人でバイクに乗り、それぞれ暴徒鎮圧用の装備を持つ。女性隊は緊急対応可能な女性警官800人で構成され、治安維持に際して人権上女性が必要なときに呼ばれたり、尋問を行なったりする。いずれも首都警察の警備部門で、デモ対策の要員でもある。[EM:10/26]

 このストには、政治的背景がある。カラカス市長とも呼ばれる連邦地区の「大市長」は、州知事と同格で、管内にさらに普通の市を擁している。このうちリベルタドル市がカラカスの中心に位置するので、これもまたカラカス市と呼ばれることがある。ややこしい。連邦地区のペニャ大市長は、もと評論家として著名な人物だったが、1999年のチャベス政府発足時に大統領官房長官に任命された。同じ年の憲法制定会議議員選挙、2000年の首都知事選挙に、いずれも与党から当選した。ところがペニャは、途中でチャベスへの全面的な批判者に転じた。2002年4月11日の反政府デモで、チャベス派の集団に対して銃撃をはじめた狙撃者は、首都警察の人間だという説もある(真相は現在に至るも不明)。この銃撃戦を政府によるデモ弾圧とみなした誤報道から、クーデター未遂が起きたのだった。とはいうものの、国家警備隊が与党側、首都警察が野党側という配置は、一方からの弾圧を抑止する上で役に立っていたと思われる。しかし、政府には気に入らない配置でもあった。

都庁での衝突(2002年11月12日)

 首都警察のストは、開始時には人々の耳目をひいたが、10月はじめにはその限界が見えてしまった。フランシア広場の不服従反抗を乗り越えて、11月はじめにはガビリア主催の対話テーブルが前進をはじめていた。このタイミングで、チャベス派からの攻撃が起こった。12日の都庁入り口占拠と、16日の首都警察への介入で、特に後者が反政府派をして12月2日のストに踏み切らせることになった。

 11月12日午前10時、野党の大物政治家たちが、ボリバル広場に面した都庁を訪れた。これを見たチャベス派約百人が、庁舎の正門を占拠し、ペニャを糾弾するスローガンを叫んだ。この集団の中には、建物の入り口を警備していた首都警察の警官13人が混じっていた。警官の代表は、ペニャに交渉に出てくるよう要求した。ペニャは首都警察の治安部に出動を命じ、12時40分に、その一隊が到着した。排除にとりかかった警官隊に対し、チャベス派は拳銃を発砲して抵抗した。閉じ込められた政治家たちは一時間後に無事退去した。しかし、排除されたチャベス派は、街に出て人々に警官との対決を呼びかけた。首都警察には国家警備隊が応援に入った。この騒乱状態が終わったのは午後5時半だった。死者1人、負傷者35人が病院に運ばれた。[EU:11/13]

 これだけなら、また一つ起きた不穏な事件としておさめることができたはずである。与野党の対話は、まさにこのような状況を防止し鎮めるためになされていたのだから。しかし政府はこれをペニャ攻撃の口実にした。首都管轄の警察を、中央政府の直接指揮下に入れようとしたのである。

 9月からの少数派スト、都庁衝突、そして首都警察への介入という一連の出来事は、ペニャ攻撃という政治的意図で共通している。これらすべてが11月16日の政府介入を用意するための計画的行動だったとする者もいる。[EU:11/30] 事態の展開の遅さと手際の悪さからみて、そこまで予定の行動とは私には思えないが、現段階で確かなことはわからない。

首都警察への政府介入(2002年11月16日)

 11月16日、、カベジョ内務司法大臣(Diosdado Cabello)は、ストライキと組織混乱を理由に、首都警察のビバス長官(Henry Vivas)を罷免し、首都警察を一時的に国家警備隊の管理下におくことを命じた。カベジョは、混乱の恐れがある場合に内務司法省に介入権限があると定めた警察調整法の条文を持ち出したが[EN:11/17]、どうみても違法である。

 陸軍と国家警備隊が政府の命令で実力行使に乗り出した。首都警察の本庁、機械化隊、警察署が、陸軍と国家警備隊に包囲された。勤務中の職員は外から遮断された。カラカス市に入る高速道路の料金徴収所では、国家警備隊が検問を設けて首都進入の理由を質問した[EN 11/17, 11/18; NYT11/18]。機械化隊への道は、装甲車3台と陸軍兵士によって封鎖され、少なくとも20日までは誰も通行できない状態だった(その後いつ緩和されたのかは不明)。[EU:11/20; EN:11/21]

 政府がかわりに長官におしつけたのは、サンチェス(Conzalo Sánchez Delgado)である。 彼はもとから与党寄りの人物で、5月に首都警察を退職した後、一時期はボリバル・サークルにも加わっていた [EN:11/18]。

 多くの職員は新指導部に従うことを承服せず、首都警察は機能麻痺状態になった。11月20日夜、軍装備部 (Direcci\ion de Armamento de la Fuerza Armada, Darfa) が、首都警察から「武器爆発物法とその施行規則で戦争兵器と規定されたすべての武器」、この場合HK短機関銃(サブマシンガン)とレミントン12口径散弾銃を、押収しようとした。いずれも武装集団に対抗するための火器である。この夜の行動はペニャ大市長から通報を受けたガビリア米州機構事務局長が、プリエト国防大臣 (José Luis Prieto) にかけあって中断した。22日に今度は刑事警察科学捜査庁から捜索が入り、約300の火器が押収された。[EN:11/21, 11/24] その他に、弾薬、催涙ガス、防弾チョッキ、ガスマスクが持ち去られた。[EU:12/16] 暴徒鎮圧用の装備が目をつけられたわけだが、カラカスでは銀行強盗が短機関銃を持っているので、重装備の存在理由は大いにあった。[EU:12/16]

 政府は、2002年4月のクーデターのきっかけになった狙撃に、首都警察が関与したのではないかと疑っていた。前記の武器押収も、4月11日の事件の調査を目的にしていた。科学捜査庁は、11月29日にはビバス前長官の執務室に絞って、立ち入り調査を行なった[EN:11/30; EN:11/30]。エルナシオナル紙は、首都警察の職員からの情報として、29日の立ち入りの前夜に疑惑の7人に関する書類が燃やされてしまったと報じた。その告発者(ビバス長官か?)によれば、その書類は7人の無罪を証明するものだったと言うが、どんな書類なのかは紙面で報じられなかった[EN:12/01]。結局、捜査員は確たる証拠を見つけなかった。

ペニャの対応行動(2002年11月17、18日)

  11月17日に、ペニャ知事と、バルタ市長カプリレス(Henrique Capriles)、チャカオ市長ロペス(Leopoldo López)は、約500人の抗議デモを率いて機械化隊の建物 に向かった。しかし、途中の道を封鎖していた陸軍に阻止された。ペニャは抗議したが追い返された。ペニャは「これは軍事クーデターだ」とマスコミに語った。[EN:11/18; NT:11/18]

 脱線になるが、カプリレスは、1998年選挙で20代の若さでコペイから当選して注目を浴びた人物である。当選後に党籍を離脱し、1999年の新議会開会とともに史上最年少の下院議長になった。政党にかかわらず国民の利益を、と言う立場をとったカプリレス議長は、議会政治の原則に未練もなく、チャベス人気におされて次から次へと脱法的譲歩を重ねた。そうやって議会と憲法を自殺に導いた。その彼が今、あのとき議会解体に賛成票を投じたペニャと肩を並べて、政府の不法に抗議している。

 私には、政権初期のチャベス優勢も、その反動としての現在も、政治家が世論の風向きに従いすぎるところからでてきているように思われる。政治家がみな多数派国民の側につこうと競り合うあまり、あるいは多数派国民に逆らうまいとするあまり、相対多数であったはずのものが80%、90%の多数にも膨れ上がる。支持率が高いときには政府の暴走を止められず、支持率が落ち込んだとなると、今度は政権打倒のためなら何をしてもよいという考えがまかりとおる。個々の政治家が一貫して多数派に追随すると、公約がその時々の権力ゲームに従って(国民の意思に従うという口実で!)裏切られることにもなる。

 同じ日、首都参事会 (都議会) は内務司法省の介入を拒否し、ビバス長官の地位を再確認する決議を採択した。さらに、米州機構の米際人権委員会に訴えるべく使節をワシントンに送った。[EN:11/18] 都議員のオチョア=アンリチ (Enrique Ochoa Anrich) は、「PMへの介入はPMへの介入以上のもので、カラカス大都市区への介入であり、市長と参事会への介入である。文民警察の統制権限は市長と参事会が持っているのに、政府が街頭の支配を握ったがために、権限が侵害され、市民の安全が深刻な危険にさらされようとしている。市長にも、議員にも、警察にも、カラカス人にも、この決定に対して反乱を宣言するより他の選択肢はない」と述べた。互いの自制心が失われた雰囲気がうかがえる。[EN:11/24] CTV、フェデカマラス、野党も、介入に強く反発し、これまでもちらつかせていた四度めの市民ストに踏み切ることにした。[EN:11/18]

 11月18日に、ペニャは最高裁の行政政治法廷に警察介入の差し止め請求を行なった。

広がる抗議と不満(2002年11月)

 同じ18日、反政府派の集団が高速道路を車で封鎖した。政府の人権侵害に抗議するためと言う。彼らは催涙ガスを浴びせる警察に、投石で応戦した。[NYT:11/19] 反政府派は、翌19日夜にも、午後6時から9時まで高速道路を封鎖し、タイヤを焼いて気勢を上げたが、チャカオ市警察の説得で立ち退いた。[EN:11/20; EN:11/21] しかし、20分から25分後に別の集団が道路を封鎖して、警察に対しても譲らなかった。チャカオ市警は参加者のうち3人を逮捕した。自動車修理工場の監督(42才)、コンピュータ技術者(22才)、電話技術者(22才)である。他の11人ないし12人は逃げおおせた。[EN:11/21] 場所はフランシア広場 (「不満軍人の合法的不服従」参照) から南に600メートルほど離れた地点であった。

 11月19日には、野党の知事と市長が中心になって、国会までの請願デモを実施した。要求はもちろん地方自治への介入への抗議である。数千人のこの行進に対し、警備の警官を隔ててチャベス派数百人が罵声を浴びせた。[NYT:11/20] 請願を届けた帰りに衝突が起こり、警備にあたった国家警備隊が催涙ガスを撒いた。[EU:11/20]

 野党の連合体である民主調整者の行動は、やや遅れた。警察介入に反対することでは一致したが、そのための手段としてストライキをどう使うかで意見対立があった。野党内にはストの有効性に疑問をもち、与党との交渉に期待をかけるべきだとする者があったのである。だが、政府の強硬手段を前にしては、強硬意見が優位になった。2月2日からの無期限ストが設定された。ストライキの実際の指導者は労使トップであり、彼等は一貫して強硬派であったから、ことストに関しては彼らの主張が通る。[EN:11/23]

 民主調整者は11月28日に首都警察への介入に対して内務司法省に抗議するデモを組織した。このデモ参加者の多くは女性で、罷免されたビバス長官のほか、民主行動・コペイ・ベネズエラ計画・勇敢民衆同盟・正義第一といった野党の政治家が加わった。棒や卵や瓶を持ったチャベス派のデモが、間に入ったカラカス警察 (リベルタドル市の警察。こちらは与党市長の指揮下) に止められた。[EU:11/29]

 あからさまな地方自治侵害に対しては、連立内部にも疑念を起こった。連立与党ポデモスのアラグア州知事、ボリバル (Didalco Bol\'ivar) は、エルナシオナル紙のインタビューに答えて、分権化を擁護する立場から、介入政策に不賛成だと述べた。[EN:11/24]

 封鎖の長期化状況が具体的にどういうものだったか、私にはよくわからない。 混乱状態が続いていたことは確かで、サンチェス新長官は組織を掌握できなかった。[EN:11/29; EU:11/30]

 ペニャは、行政政治法廷の判決が遅くなるのを知って、11月25日に憲法法廷に救済を求めた。11月26日には、罷免されたビバス長官も、警官が深刻な生命の危険にさらされており、武装の制限のせいで不便を強いられていると憲法法廷に申し立てた。[EN:11/27] 憲法法廷はビバスの申し立てを憲法に関係しないとして却下し、ペニャのものについて判決を下すことを決めた。[EU:11/28]


警察本部の回復と監視継続(2002年12月から2003年1月)

 11月29日深夜に、装甲車は引き上げた。しかし少数の兵士がなお建物の入り口で見張りに立った。[EU:12/01] この状態で12月2日に四度めの市民ストがはじまった。ストライキの掲げる目標の一つに、警察介入への反対があった。

 スト開始日に開かれた交渉対話テーブルで、ランヘル副大統領ら政府側代表は、12月4日に首都警察本部をペニャに戻すという提案を示した。ビバス長官の復帰である。返還に際して条件は何も示されなかったが、既に持ち去られた火器は返されなかった。[EU:12/03] サンチェスは見捨てられて怒ったが[EU:12/04]、とりあえず何もできることはなく、警察本部に出勤し続けた。ストライキ警官は警察本部の中、神経中枢部にあたる警察作戦センターに居座った。陸軍兵士は変わらず警察本部の前にあって、大型火器をもっての出動を禁じた。[EU:12/16]

 12月12日、行政訴訟第一法廷は、ペニャからの訴えに判決を下した。判決は、首都警察の装備は首都政府の財産だとして、警察作戦センターを首都警察に返すこと、ストライキ警官が不法に持ち去った暴徒鎮圧用装備と火器を返却することを命じた。兵士の立哨について裁判所は判断を示さなかった。[EU:12/14] だが、持ち去られた武器が返却されることはなく、兵士の一隊は首都警察本部の前で監視を続けた。[EU:12/15] サンチェスとストライキ警官は、なおもずるずると建物に出入りを続けた。

 12月16日に民主調整者は首都警察から軍を撤退させることを要求するデモを実施した。チャベス派の対抗デモがあったが、警官に阻まれて衝突はなかった。デモとともに機械化隊の建物前にたどりついたペニャは、マスコミの取材班と一緒にふたたび通行を試みた。しかしまたしても陸軍の封鎖線に阻まれ、今度は手荒に追い払われた。[EU:12/17]

大規模な武器没収(2003年1月14日)

 2003年1月14日未明、陸軍と国家警備隊がふたたび行動を起こし、首都警察の本部と警察書から大型武器を持ち去った。兵士に対して警官は抵抗しなかった。[EU:01/15] 散弾銃2582丁、短機関銃1730丁、ライフル14丁と多数の弾薬が、フエルテ・ティウナ基地に運ばれた。[EU:01/16] 押収令状の提示はなくただ「上からの命令」とだけ説明された。[EU:01/15] 直接の責任にあたる軍装備部は、首都警察に対して2月2日まで武器を預かると告げただけだった。[EU:01/16] 出たばかりの判決を無視したこの行動は、もちろん政府の指示に違いはないが、政府高官は誰もこの行動の説明をしようとしなった。

 装備部が言う2月2日とは、全国選挙委員会 (CEN) が国民投票の予定日とした日付である。国民投票は反政府派の要求だったが、政府の拒絶と最高裁の判決によって実施されない見通しになった。不満を持つ反政府派だけではなく、これに対抗する政府支持派の行動も予想される。政府に好意的にみれば、疑惑持ちの首都警察がクーデターを挑発することを警戒したと言えるが、反政府派はチャベス派の暴力を解き放つためだと解釈した。

 没収があった14日に、ペニャ大市長は、武器没収を非難するとともに、持ちされられた武器が政府支持の暴力サークルの手に渡ることを許すわけにはいかないと語り、将軍たちに対してそのような引渡しをするなと呼びかけた。さらに、武器の返却と介入禁止の判決の徹底を最高裁に請求した。[EU:01/15] 最高裁の憲法法廷は、1月16日に過去の判決の履行状況について報告するよう各機関に命令を出したが[EU:01/17]、無視された。


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