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正義第一

出典: Suzutayu's「べネズエラの政治」

Primero Justicia。他の訳語: 第一正義

市民団体から生まれた右派政党。1998年以後の政治の激変に際して政党に衣替えした。カラカスの中産階級の間で強いが、他地域での党勢は限られている。

目次

市民団体からの出発

 正義第一は、司法改革を求める市民団体として、1992年に結成された。会員には大学の学生と卒業者が多かった。彼らは1995年の治安判事組織法(組織法は日本でいう基本法)制定に成果をあげた。Justiciaは「司法」でもあり、この時点での団体名は「司法第一」と訳すべきものだった。政党になるともっと広い意味がこめられるようになり、「正義第一」になる。

 1999年にウゴ・チャベス政府の下で憲法制定国民会議が開かれると、正義第一は自ら候補を立てて選挙に加わった。与党圧勝の中で、わずかに気を吐いた少数の中に、ヘラルド・ブライドがいた。政党への転身とブライドの議員活動で注目されたが、この頃は零細な小党に過ぎなかった。

 2000年選挙では正式に一個の政党として選挙戦に臨み、首都圏で躍進した。といってもまだまだ小政党ではある。この中には、民主行動から来たリリアナ・エルナンデス国会議員や、はじめコペイで当選したエンリケ・カプリレス市長のような、旧二大政党からの転入者もいる。逆に他党に移ったのが、レオポルド・マルティネス (Leopoldo Martínez) 議員である。上り調子と見られていることと、その基盤が首都周辺にあることが、正義第一の強みであった。2002年、2003年の街頭動員では、首都カラカスの動きが注目された。反政府派のデモの中では、正義第一の黄色いシャツの数がもっとも多かった。

 党にとっての大事件は、2004年5月にカプリレス市長が逮捕されたことである。検察官は、カプリレス市長が2年前のクーデター未遂のときに群集を扇動してキューバ大使館を襲撃されたと主張した。市長は9月まで拘留され、ようやく裁判が始まった。10月の地方選挙でカプリレスは勝ったが、全体の党勢は現状維持にとどまった。

イデオロギーと政策、支持基盤

 経済政策は右寄りだが、文化的に保守・権威・宗教の色彩はない。右翼を自称することはないが、市民的で反左翼的な都市中間層を基盤にした、いわば「民主右翼」である。

 党員数は首都圏とスリア州という大都市部に偏る。多くの党員は2002年の衝突激化から政治活動に参入した人で、それ以前の政治経験を持たない。これは、市民団体としての経験もないということである。もとは中道右派のコペイに票を投じていた人が支持しているらしい。「労働正義」なる組織を組合運動の中で持つが、労働者の中での支持は弱い。商店主など中間層が基盤である。

 首都圏ではレオポルド・ロペスがチャカオ市の、エンリケ・カプリレス・ラドンスキがバルタ市の市長を務める。二人とも首都の街頭行動が激しかったときには、何かとメディアに露出する位置にあった。カラカス5市のうち2市は与党で、野党が握る3市のうち2市が正義第一、残る1がベネズエラ計画という勢力図である。2004年地方選挙では、エルアティジョ市でベネズエラ計画の市長が再選したが、その内訳では正義第一の数のほうが上だった。チャカオ・バルタ・エルアティジョの首都東部3市が正義第一の牙城で、同時に反チャベス派が圧倒的に優勢な地区である。

反チャベス

 政策距離が与党からもっとも遠い党だが、反政府行動という面では、野党の中で穏健派になる。政策的に与党に近い民主行動 (AD) の方が過激である。2002年10月時点では、民主行動が市民ストのバックアップに全力を挙げているのに対し、正義第一は署名を集めて国民投票をしようとしていた。12月市民ストについて当初は、「ストライキは正当で合法的・合憲的手段だが、やるには時を選ぶべきだ」(メディナ国会議員) と否定的な考えだった[EN:11/23]。

 他の野党はこの両党の間に位置している。チャベスが左翼票をとって与党、正義第一が右翼票をとって野党という関係なら、両党にとって不安定な要素はない。支持層を直接チャベスと取り合う民主行動との違いが、このようなところに表れているのかもしれない。

 それでも、あらゆる反政府活動に支持を与えることには変わりない。2002年のクーデター未遂ではマルティネス議員がクーデター政府に加担した。見た目の穏健ぱ若干割り引くべきだろう。合法的不服従をしているフランシア広場に顔を出し、民主調整者主催のデモ行進に参加した。12月市民ストでも、直前には「われわれはストを全面的に支持する」(ボルヘス国会議員) という立場をとった[EN:12/01]。フランシア広場での2002年12月乱射事件後には、チャベスに即時辞任要求をつきつけた。 国民投票の計画を後押しし、2004年3月には、リコールの国民投票が認められなければ地方選挙に参加しないと言い切った。結局国民投票は実施され、地方選挙でも現状維持を果たしたが、2005年12月には他の野党とともに選挙をボイコットして、議席をすべて失った。

組織化努力とゆっくりした上昇

 正義第一は、近頃のベネズエラでは珍しく、政治家個人を中心にした政党ではない。ブライドもボルヘスもそれなりに有名ではあるが、彼らに傾倒して集まった集団ではない。2004年に私が話を聞いたところでは、当面の国民投票に向けた運動のかたわら、個別訪問や地域住民の要求掘り起こしなど、地味な組織活動を重視していた。個人の魅力に頼らずに組織化努力を続けたかいがあってか、没落の不安はない。彼らの課題は、どうやって他地域に拡大していくかである。

 2006年の大統領選挙では、早いうちからフリオ・ボルヘスが立候補の意思を表明していた。有力候補とみなされていたが、8月にマヌエル・ロサレスに譲って降りた。

 2006年選挙で、ロサレスに票を投じた人のほとんどは、新しい時(UNT)と正義第一のどちらかを経由することを選んだ。新しい時(UNT)はロサレスの政党だから、それが選ばれたことは不思議ではない。民主行動の不参加の影響も軽くみてはならない。しかし、その他の小野党の中から正義第一だけが選ばれたことは、今後大きな意味をもってくるだろう。

"http://suzutayu.s156.xrea.com/Venezuela/index.php/%E6%AD%A3%E7%BE%A9%E7%AC%AC%E4%B8%80" より作成

このページは 969 回アクセスされました。 最終更新 2006年12月19日 (火) 03:58。 Content is available under 帰属-派生禁止 2.5 .


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