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国民結束

出典: Suzutayu's「べネズエラの政治」

Convergencia Nacional, Convergencia

 カルデラ政権と運命をともにして興廃した政党である。イデオロギー的には中道で、現在ではほとんど力がない。

 1993年選挙で、ラファエル・カルデラのもとに小政党が結集して作った。カルデラはもともとコペイ創設時からの指導者で、一度はコペイから大統領になったこともある。老齢で引退同然になっていた1992年に、ウゴ・チャベス中佐がクーデター未遂を起こした。このときカルデラは議会に立って演説し、政府を厳しく批判した。カルロス・アンドレス・ペレスが国民を無視して強引に新自由主義的経済改革を実施したことが、反発を招いたのだというのである。しかしこの時、コペイはペレスの経済政策をむしろ歓迎しており、カルデラに同調しなかった。

 カルデラは党を去って翌年の大統領に立候補することを決意し、左翼諸政党の支持を取り付けた。これと組み合わせてコペイなど右や中道から合流した支持者を受け入れるために作った新政党が、国民結束である。1993年の議会選挙では、一部の州で社会主義運動(MAS)と合同のリストを作成した。

 政権はペレスに対する反動としての左翼オプションを示すはずだったが、政権初期の賃金・価格統制政策がインフレと経済後退に終わってから軌道修正した。国際通貨基金 (IMF) との協調を基礎に、「ベネズエラ議題」という新自由主義計画を策定し、民営化を強力に推進した。出発点から180度転換したことになる。当面の危機を回避することはできたが、経済が好転したとまでは言えず、ペレスと同様の公約違反を眺めた人々の失望と不信は大きかった。

 大統領選挙では自党のルイス・ラウル・マトス・アソカル (Luis Raúl Matos Azócar)を立てるか、独立系候補を推すかという選択があったが、他党の候補を擁立しないかぎりどうやっても勝てそうになかった。結局、大統領選挙には候補を立てないことで落ち着いた。

 カルデラ当選の追い風を受けた前回とはうってかわり、1998年の国民結束は、政府の不人気をうけて支持率がきわめて低くなり、小党に転落した。議会選挙ではカルデラの地元、ヤラクイ州からしか当選者を出せなかった。 ヤラクイでは州知事にエドゥアルド・ラピ (Eduardo Lapi) を当選させた。ラピが2000年選挙にも立候補したとき、政治警察は知事の汚職疑惑を理由に立ち入り捜査を開始した。ラピと結束は激怒し、政治警察に対する全面対決姿勢をとった。汚職の真偽についてはわからないが、再選妨害の政治的意図には疑いの余地はない。ラピは野党の州知事たちから支持を受け、支持者を動員して抗議し、再選を果たした。

 しかしラピは、2004年の地方選挙では国民結束から離党してLAPYなる政党を作り、独立系候補として立った。実質的に国民結束の候補であることには変わりがない。ラピは落選したので、国民結束はまた一つ勢力を縮めた。翌2005年には、他の野党とともに議会選挙をボイコットしたため、議席ゼロである。

"http://suzutayu.s156.xrea.com/Venezuela/index.php/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E7%B5%90%E6%9D%9F" より作成

このページは 488 回アクセスされました。 最終更新 2006年11月29日 (水) 12:45。 Content is available under 帰属-派生禁止 2.5 .


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