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国民主義市民十字軍

出典: Suzutayu's「べネズエラの政治」

Crusada Cívica Nationalista。CCN。右翼政党。

1958年のクーデターで亡命したマルコス・ペレス・ヒメネスの支持者が1963年に作った。右翼といってもペレス・ヒメネスがガチガチの右翼ではない(独裁者だが)ので、中道右派とする人もいる。米国の研究者ブランクは、選挙政治で圧倒されていると感じた中産階級の反政党的気分を代表するものだ、と言うが、ユーウェルは首都の公共事業で潤ったカラカスの低所得者層から支持を得ていたとも言う。

1968年12月の選挙に参加して、上院議員1、下院議員21を獲得した。下院の得票率は11%で、第4位だったが上々の成果である。この年は左の票が民主行動(AD)と人民選挙運動(MEP)、右の票がコペイとこの「十字軍」に分裂して四党分立の形勢になった。ペレス・ヒメネスはスペインから上院議員に当選したが、この年の8月1日に大統領在任中の汚職で4年1か月15日間の有罪判決を受けたため、自動的に4年1か月15日間立候補資格を失った。当選は無効になった。大統領選挙で十字軍は独自候補を立てなかったので、分裂したのは左だけとなり、コペイのラファエル・カルデラが当選した。

国民主義市民十字軍は議会で野党としてとどまったが、1970年に下院議員のアブデルカデル・マルケスが正義派人民運動 (Movimiento Popular Justicialista, MPJ) を作って離脱した。詳しい事情は筆者には不明。

ペレス・ヒメネスは前回選挙での勝利を励みに1973年選挙で大統領に立候補しようと考えた。民主行動(AD)とコペイは警戒して、公金横領ではなく不当な弾圧についてペレス・ヒメネスに対する逮捕状を発行した。帰国したら捕まえるぞ、という構えである。ペレス・ヒメネスは自身の立候補への態度を曖昧にし、彼の支持を求めてスペインを訪れた複数の独立系候補に曖昧な言葉を与えて帰らせた。結局ペレス・ヒメネスは何もせず、ふらつく指導者に振り回された十字軍は下院得票率4%、4議席に後退した。コペイ政権成立が、保守派選挙民の期待をコペイに集中させることになったらしい。

やる気のないボスにあきれた十字軍は、1974年12月にペレス・ヒメネスを除名した。続いて与党の民主行動(AD)と協力した。しかしこうなるともう党のアイデンティティはなきに等しい。

続く1978年選挙では独自候補としてパブロ・サラス・カスティジョを立てたが、得票率0.2%、議席ゼロに終わった。それでもしばらく候補を立ててがんばったが、1990年代には消滅した。

"http://suzutayu.s156.xrea.com/Venezuela/index.php/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E5%B8%82%E6%B0%91%E5%8D%81%E5%AD%97%E8%BB%8D" より作成

このページは 398 回アクセスされました。 最終更新 2009年1月26日 (月) 03:12。 Content is available under 帰属-派生禁止 2.5 .


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