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反政府デモ「カラカス掌握」

出典: Suzutayu's「べネズエラの政治」

Toma de Caracas

目次

概要

 2002年4月11日のクーデター未遂は、反政府勢力を頓挫させたが、あきらめさせはしなかった。10月10日に反政府側の市民は、チャベス大統領の辞任と即時の国民投票を要求する大規模なデモを実施した。"Toma de Caracas"は、カラカスを取ることの意味。

関係する団体とその要求

 主催団体は、「民主調整者」「ベネズエラ労働者総連盟(CTV)」「ベネズエラ商工会議所連盟(フェデカマラス)」および各種市民団体である。民主調整者は、野党の連絡組織である。CTVは最大の労働組合センター。フェデカマラスは最大の経営者団体である。労使合同というところに、この運動の特徴がある。フェデカマラスのフェルナンデス会長は、このデモの参加者に一日分の賃金を支払うと約束した。

 デモの要求は、チャベス大統領の辞任を要求と即時の大統領選挙である。憲法の定めるところによれば、チャベス大統領の任期は2007年まで、人民投票によるリコールは2003年までできない。そこを「すぐ選挙!(Eleccion Ya!」しようというのがこのデモのスローガンである。

クーデター計画と政府の対応

 4月に同様のデモがクーデター未遂に発展したので、政府はこのデモを極度に警戒した。

 軍情報部と政治警察は、10月4日深夜から5日にかけて、テヘラ元外相の自宅を家宅捜索した。デモの直前には2人の軍人の家も捜索した。チャベス大統領は、これによってクーデター計画が発覚し阻止されたと発表した。しかし容疑者はいずれも計画の存在を否認し、警察は誰も逮捕できなかった。

 捜査が挫折した後に、カラカスの英字紙「デイリージャーナル」の10月23日版が、テヘラのインタビューを掲載した。そこでテヘラは、「私はまったく反対なのだが、軍事クーデターを推進する計画がある。」「クーデターの長は、非常に高位の将軍であり、とても裕福な幾人かが協力している。」と暴露した。12日か14日にクーデターを実施する計画で、テヘラも協力を求められたが、断ったと言う。

 また、デモ当日の10日に、マルティン海軍中将がチャベス批判の発言の中で、軍の高官が地下会合をもっていると公言した。政府の警戒にもそれなりの根拠があったわけだ。

 さて、テヘラ事件を口実に、10月5日から、フエルテ・ティウナ基地から陸軍の部隊がカラカス市内に出動した。彼らは大統領官邸の周辺を固め、デモ隊に接触する位置には置かれなかったようだ。

 直接デモの警備にあたったのは、国家警備隊(Guardia Nacional, GN)、首都警察(Policia Metropolitana, PM)、周辺からの応援の警察、消防隊である。総計四千人といわれている。ベネズエラの警察組織は、国(国家警備隊)-州(州警察)-市郡(市郡警察)の三階層が別々にそれぞれの政府に属している。国家警備隊はチャベス政府の下にあるが、首都警察は野党のペニャ知事の指揮下にあり、カラカス中心市であるリベルタドル市警は与党のベルナル市長の下にあり、行進ルートにある郊外市のチャカオ市警は野党(正義第一)のロペス市長の下で、などとややこしい。デモの警備や鎮圧のような政治的局面では、誰が命令権者かは重大な意味を持つ。

 国家警備隊は、ベネズエラの全国警察である。陸軍・海軍・空軍・警備隊でベネズエラの四軍とされ、階級と制服は軍隊のものだが、組織と装備からは治安警察・広域警察というのが正確である。

 首都警察の一部職員は、このデモと前後し待遇改善を求めてサボタージュやストライキをおこしていた。 これをもって与党の策略とする見方もある。11月に首都警察介入に発展することになるが、今回のデモ警備では支障なく任務を果たした。

 後になってチャベスが語ったところによると、チャベスは、このデモがクーデターに転化しそうになったときに民間放送を停止することを計画していた。結局デモは平和的に行われ、停止が現実になることはなかった。

行進の経過

 デモはエステ公園から出発し、約8キロの行進を行ってボリバル街を終点にした。終点位置から大統領官邸まではごく近い。1キロあるかないか。デモ指揮にあたった野党政治家の幾人かの演説によれば、主催団体の中に、このデモを当日どたんばになって大統領官邸にまで持っていってしまうようルートを変更することを主張したものがあったらしい。そうなれば警察やチャベス派民衆との衝突は必至である。結局は予定通りに実施された。

 デモ参加者の中には、数か月前までチャベス政府の重鎮だったミキレナ元内務司法大臣の姿もあった。ミキレナは、1月に老齢を理由に引退したが、4月の衝突事件での政府の対応を批判して、反チャベス側についた。なにぶん年なので「行けるところまで行く」とのことだ。

 デモ側では、「住民が観察する(Vecinos Observan)」という組織が作られ、警察と連絡をとりつつ整理にあたった。「住民オブザーバー」等と名詞にしない言い方は、最近の流行らしい。政党の青年組織や市民団体から二千人。これを率いるモラは、メンバーが非武装だとしながらも、「我々はおとなしく顔面を殴られっぱなしではいない」と語った。街頭闘争の要員ということだ。

 進路の各所にスローガンを書いた看板や垂れ幕が用意された。街路はずっと遠くまで人で埋め尽くされた。消防隊は百万人以上だとしたが、ランヘル副大統領によれば百万人よりは少ないとのこと。「エルナシオナル」「エルウニベルサル」の二大新聞は百万人説をとり、ベネズエラ史上最大かもしれないと書いている。いずれにせよ、数十万人規模であることは確かだ。圧倒的多数はベネズエラ国旗を持ったが、政党の旗もけっこうあった。国旗を振るのは中南米のデモ・集会で共通の習慣のようだ。

 集会の目玉は、オルテガCTV会長のアピールだった。彼はチャベスに10月16日までに辞任するよう迫り、もし受け入れられないなら10月21日にゼネストに突入すると宣言した。フェデカマラスのフェルナンデス会長も、このストを支援すると約束した。演説者の中に、陸軍のゲバラ・フェルナンデス大佐がいて、無期限ゼネストを呼びかけた。この大佐は14日に反乱扇動の容疑で逮捕された。

 連合体である民主調整者は、デモの日付についてはまだ決まっていなかったはずだと文句を言ったが、各党とも数日後には承認した。現役軍人の参加と演説についても批判の声が上がった。反政府派にも穏健なものからクーデター待望派まで幅があるようだ。


道路封鎖

 早いところでは当日の午前2時ころから、チャベス派の集団がカラカス市に入る高速道路を封鎖し、デモ参加者を乗せたバスが市内に入れないようにした。反政府派との衝突や警官の介入で銃撃戦となり、死者1名、負傷者数十人が出た。

 死者が出たサンフアンデモロスでも、チャベス派が道路を封鎖した。バスから出てきた反政府派の集団と向かい合い、はじめは悪口を言い合った。突然爆発音がして、銃弾が飛び交った。この近所にはバルガス州水害被災者のために建てられた住宅地があり、争いを見物に出てきた住民には、チャベス派に加わって声援を送るものがあった。その1人が弾を受けて病院に運ばれたが、亡くなった。撃ったのは警官だとする証言があるが、わからない。

 カラボボ州のラカブレラ・トンネルでは、トンネルの両側をチャベス派が封鎖し、ここでも負傷者が出た。アラグア州のエルパルディリャルでは、チャベス派の一団が国家警備隊の哨所を制圧し、バスの通行を阻止した。マラカイ市のパロ・ネグロ、ラエンクルシハダでも交通妨害があった。まだまだ衝突はあったらしい。

 大統領支持派のデモが、カラカスの少なくとも四箇所で実施された。ミランダ州でも集会があった。規模はいずれも不明。報道写真からみる人々の服装は、またしてもチャベス派=人民階級、反チャベス派=中産階級という階級差を感じさせてくれるものだった。

 チャベス大統領は「兵士の日」を祝う式典に出席し、特別な行動はしなかった。不測の事態に備えるのはランヘル副大統領の任務だったようだ。ランヘルは、道路封鎖と政府の関連を否定し、デモの安全を保証し暴力を起こさないよう万全の対策をとっていると繰り返した。

Suzutayu 2002/12/22

"http://suzutayu.s156.xrea.com/Venezuela/index.php/%E5%8F%8D%E6%94%BF%E5%BA%9C%E3%83%87%E3%83%A2%E3%80%8C%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%AB%E3%82%B9%E6%8E%8C%E6%8F%A1%E3%80%8D" より作成

このページは 379 回アクセスされました。 最終更新 2006年12月3日 (日) 06:12。 Content is available under 帰属-派生禁止 2.5 .


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