人民選挙運動
出典: Suzutayu's「べネズエラの政治」
Movimiento Electoral Popular, MEP
左翼政党。1970年代までは労働運動で強かったが、しだいに勢力を縮小した。現在はチャベス与党である。
1968年に民主行動 (AD) から分離して生まれた。原因となった対立はもともとはイデオロギー的なものではなく、党主流・旧世代のベタンクール派に対する中堅のプリエト派の微妙な政策傾向の違いに過ぎなかった。この年の選挙で民主行動が分裂したために、漁夫の利を得てコペイのラファエル・カルデラが当選した。民主行動の優位を崩し、コペイとの二党制に移行させた画期的選挙であった。
人民選挙運動には、ベネズエラ労働者総連盟 (CTV) 会長をはじめとする労働組合指導者のかなりの部分が加わった。そのためこの方面でも民主行動の優位は崩れた。両派は並行組合を作って互いの組織を切り崩しあい、集会で殴り合って激しく争った。人民選挙運動はなんとか力を保ったが、会長職のほうはコペイと手を組んだ民主行動に奪回された。
この後、急速に左傾化した人民選挙運動の勢力は漸減していった。問題は組識労働者以外の左翼支持層の掌握にあり、後発の社会主義運動 (MAS) に得票基盤を侵食されつづけた。1970年代には労働運動でも、民主行動と体質的に変わらない人民選挙運動ではなく、より民主的な組識をめざす方向を示した急進大義 (LCR) が勢力を伸ばしてきた。人民選挙運動は左翼諸政党の協力・合同を目指したが、この努力は自党の頽勢挽回につながらなかった。
第二次ペレス政権崩壊を受けた1993年選挙で、ライバルの社会主義運動は躍進したが、この風は人民選挙運動に向けては吹かなかった。この年の国民結束、1998年の第五共和国運動 (MVR) ・ベネズエラ計画、1999年の正義第一と次々に登場する新党の中で、人民選挙運動の掲げる旗は色褪せていったかに見える。政策的には新自由主義反対を掲げ、1998年の大統領選挙では、この点で共通するウゴ・チャベスを支持した。チャベスは大統領に当選したが、人民選挙運動は議席ゼロのままに留まった。
2005年12月の選挙では、人民選挙運動は議席1を獲得した。野党が選挙をボイコットしたためである。これをもって党勢回復の兆しとするのは、時期尚早であろう。
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