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不満軍人の合法的不服従

出典: Suzutayu's「べネズエラの政治」

Desobediencia Legítima

目次

概要

 10月21日の市民ストの翌日、軍の元高官14人が、記者会見で軍人に合法的不服従を呼びかけた。軍に対する呼びかけは不発に終わったが、彼らはフランシア広場を解放区と宣言し、テントをはって泊り込みをはじめた。多数の民衆がつめかけ、一時はたいへんな盛り上がりを見せた。その流れは、チャベス辞任を求める国民投票への署名につながり、署名提出とともに下火になった。なおも軍人と民衆が集まっていた広場で、12月6日に銃の乱射事件が起こり、3人が死亡した。


元クーデター将軍たちの「合法的不服従」

 10月ストライキの翌22日午後五時、メディナ・ゴメス陸軍少将(元第3歩兵師団長、元駐米大使館付武官)ら軍の14人の将軍が記者会見を行なった。彼らはチャベスには従わないと宣言し、軍に「合法的不服従」を呼びかけた。チャカオ市アルタミラのフランシア広場を解放区と宣言して、市民に集まるよう求めた。現役軍人ではあるが、その多く(全部?)は4月のクーデターに関与したとして職務から外された人である。(不服従軍人の声明)

 アルタミラ広場には多数の市民が集まった。軍人が入れ替わり立って演説し、CTV、フェデカマラス、民主調整者各党も代表を派遣して、それぞれに軍人への支持を表明した。軍人たちは、チャベスが辞任するまで広場から動かないと宣言した。CTVは市民ストの再開を検討した。さらに将官・佐官の軍人や退役軍人も個人で広場にやって来た。しかし、部隊は動かなかった。軍のトップも動かなかった。軍人に対する不服従の呼びかけは、かくて不発に終わった。

 フランシア広場は、地下鉄アルタミラ駅のそばにある。広場の隣はホテル・フォーシーズン、近所に米国大使館がある。それほど広いわけではないので、たくさんの人が街路にはみ出て、交通規制がなされた。周辺住民は中流階級で、チャベス支持層である貧困層の影はない。かつて独立系のイレネ市長を送り出し、今は正義第一のロペス市長を擁するチャカオはそういう市なのだった。集まった群衆は、夜を徹して鍋を叩き、制服軍人や政治家・反政府活動家が次々に演壇に立って演説し、大いに盛り上がった。報道写真と地図をつきあわせての私の推測では、23日昼に二千人は確実、実数はおそらくその倍近くだろう。週末に激増したとされるが、その数まではわからない。

署名集め

 10月24日に民主調整者と軍人たちは、フランシア広場をチャベス辞任を問う国民投票を行うための署名集めの場に変えることにした。この時まで主に野党の「正義第一」が推していた路線だが、方向転換の戦術としては、うまいものだ。反政府運動の中で、今まで脇役でしかなかった穏健派が、主導権をとった瞬間でもある。

 同じ日、それまで沈黙を保っていたチャベス大統領は、この出来事を「絶望した者たちのショー」だとみなし、軍人が反乱を呼びかけたのは犯罪だと発言した。民間人が集会に集まるのは自由だが、その人たちも軍人の犯罪関与については承知してほしいと述べた。その一方で、国民投票の署名集めについては容認した。現状の不人気のもとで投票がなされれば、実質的に国民によるチャベス不信任投票になる可能性が高い。強気の口調とは裏腹の大きな譲歩である。

 広場の制服軍人は、集まった人々によって英雄と呼ばれた。人々は持ち寄った国旗に軍人のサインを書いてもらった。中にはむき出しの背中にサインを求める女性もいた。[EM:10/26] 人が広場からあふれたので、ロペス市長は周囲を車両通行止めにした。泊り込みのためのテントが設置され、市が簡易の風呂を提供し、長期滞在の体勢もできあがった。[DJ:10/29]

 軍人たちは、「合法的」不服従であることを強調し、クーデターを望んでいるわけではないと繰り返した。と言いつつも、将軍たちは広場に「軍最高司令部」を設け、メディナ=ゴメスが陸軍、ラミレス=ペレスが海軍、ペレイラが空軍、マルティネスが国家警備隊の司令官になった。従う部隊がないからいいものの、クーデターを望まぬ軍人がする遊びではない。[EU:10/29]

 フランシア広場の集会は、24時間ぶっつづけで演説とスローガンの連呼と鍋たたきが続く大変なものだった[EM:10/26]。土日にあたる10月26日と27日が最高点で、その後は夜間の騒音はおさまってきた。10月28日に近所の住民が最高裁に騒音の苦情を申し立てたことが多少関係しているかもしれない。[EU:11/28速] ベネズエラでは、憲法上の権利が侵害されたときには法律の根拠条文なしに最高裁に救済を求めることができるのである。

政府の締め付け

 署名が進むうちにも、要職にある軍人たちは、あらためて合法的不服従を否定する声明を出した。不満軍人の数は少なくないにせよ、クーデターを起こすための実行部隊は完全にチャベス派に握られていた。10月25日に第三師団長と将校が、制度と法規への忠誠を明らかにした。陸軍司令官ガルシア=モントヤ少将(Julio Garc\'ia Montaya)は、陸軍は現行憲法を遵守し平常通りに勤務するというメッセージを発した。[EM:10/28]

 検察は憲法334条の違反として裁判所に43人の軍人を告訴した。裁判所は25日に裁判を行なうことを決めた。[EM:10/26] これとあわせ、チャベス大統領は、10月31日に不服従軍人全員に恩赦など赦免手段をとる(まだ刑が確定していないから恩赦そのものではない)と呼びかけた。不服従軍人は、ただちに拒絶した。[EU:11/01]

 熱気が冷めたのを見計らって、11月29日に、政府は不服従軍人とそれに賛同した軍人者14人を現役から引退させる命令を出した。元の14人の将軍とは一部しか一致しない。不服従軍人の考えでは、政府が不法だから退役の辞令も不法である。[EN:11/30]

米際社会の反応

 ラテンアメリカは言語が共通ということもあり、互いの連帯意識が強い。このところ、各国の危機に際して国際社会ならぬ米際社会が表に出ることが多くなった。

 米州機構のガビリア事務局長は、10月初めに和解工作に失敗してベネズエラを去っていた。が、事態の急転を見て、まず不服従軍人の行動を牽制する声明を出し(ベネズエラの状況に関する米州機構事務局長の声明)、ふたたびベネズエラ入りすることを決めた。南米諸国もガビリアの姿勢を支持した。4月のクーデター未遂とのつながりが目に見える以上、米州諸国が合法的不服従を支援しないのは当然と言える。[EU:10/29]

 不服従軍人と野党指導者たちは、ベネズエラ国民大多数の願いを理解していないと、諸外国の反応に不満だった。不服従軍人はガビリアの10月22日の声明に反論して憲法にある軍の政治関与に関する条項を引用した。ガビリアは10月29日にメディナ少将と一度会って話しあったが、そこでも軍人の決起は止めよと提案した[EN:10/30]。 31日付英字紙「デイリージャーナル」のインタビューで、メディナはガビリアの無理解に不満をもらした。自分たちの軍民同盟は憲法にかなった独特のもので、他のラテンアメリカにあるような軍部の政治権力奪取とは異なるというのである。[DJ:10/31]

 言われてみればその通りで、1992年のチャベスの反乱、2002年4月のクーデター未遂、そしてメディナらの不服従も含め、軍事クーデターの試みを何度もはねつけてきた点でベネズエラは独特である。その結果の一方にクーデター未遂のチャベスが、他方に同じくクーデター未遂のメディナがいるとは、なんとも皮肉なことだ。メディナは、米州機構は臆病すぎだと批判し、米州機構・米国その他外国の関与を期待すると語った。[DJ:10/31]

 米国政府は、4月のクーデター計画への関与疑惑で国内外から手ひどく叩かれてから、クーデターを決して支持しないという態度をとってきた。チャベス政府への批判も控えてきた。しかしチャベス政府への反感は、ブッシュ政権にずっと存在している。この事件では、微妙に反チャベス派への同情の色を見せたが、結局うまくいきそうにないと観測して、ガビリアによる仲介支持で固まった。

 とは言うものの、しきりとチャベスへの批判を言いまわるあたりは、非干渉も半端なものだ。10月31日に、ライチ補佐官 (Otto Reich) は、レトリックのレベルを下げ、支持者を武装解除し、選挙を実施することをチャベスに呼びかけた。シャピロ駐カラカス大使 (Charles Chapiro) は、軍人の政治関与を憂慮しているがこれは1992年(チャベスの反乱)から続いていることだと語ってチャベスへの厭味を表した。しかしその他の点では、市民の広場での泊りこみを「平和的デモの権利」として承認し、軍人については「裁判所が決めるだろう」と判断を回避した。ライチもシャピロもガビリアの調停を支持し、シャピロは米国が直接事態の収拾に乗り出すことはないとした。[DJ:11/01]

 明確に反チャベスに与していたのはペルーで、10月ストの直前に、チャベスの非民主的態度が問題なのだと非難したが、不服従の支持にまでは踏み切れなかった。

フランシア広場乱射事件

 12月2日にはじまった市民ストの4日め、12月6日の午前の夜に、車から広場に向けて拳銃を撃った男二人が逮捕された。チャカオ市警に追われて逮捕され、病院に運ばれた二人の酔っ払いは、軍情報部に属していた。弾に当たった人はいなかった。[EU:12/07]

 日が回って午後七時十五分、ホテル・フォーシーズンで軍人たちが政府批判の記者会見を終えたころ、広場の中で突然銃声が響いた。フアン=デ=ゴウベイア(Juao De Gouveia)という男が立ち、拳銃を周囲の人々にむかって乱射した。目撃者の証言によれば、人々が逃げ散り、身を伏せる中で、ゴウベイアは射撃を続けた。しばらくその状態が続いたが、人民勇敢同盟(野党)のテントにいた男がほうきで殴りかかり、周りの人々が加勢して銃を奪った。そのままリンチにかけられそうになった (と新聞は書くが、写真では既に半裸で血を流している) 犯人を、警官が逮捕した。銃弾による死亡者は3人、負傷が28人。[EN:12/07]

 ロペス市長とチャカオ市警は捜査のため人々を現場から立ち退かせようとしたが、不服従軍人は承服しなかった。 [EU:12./06速] 人の数は逆に膨れ上がり、事件に抗議して鍋を叩いた。[EN:12/06速] 政府高官は、遺憾の意と徹底した捜査の意欲を表し、犯人と政府との関係を否定した。反政府派の諸団体はこぞって政府を非難し[EN:12/07]、 チャベスの即時辞任に要求を切り替えて、ゼネストを続行することを決定した。[NYT:12/08]

 ゴウベイアは1964年生まれ、ベネズエラに23年間在住するポルトガル人で、フランシア広場の近所に住んでいた。自宅周辺が広場の騒ぎにまきこまれたので、その原因がテレビ報道にあると考え、民放テレビ「グロボビシオン」の一人物を狙うつもりだったと供述した。逮捕時彼は、ジャーナリストの名を記したリストと、政府支持のパンフレットを持っていた。[EN:12/07]

 目撃情報は、他の発砲者についても伝えている。[EN:12/07] だが、ゴウベイアに拳銃で応戦した人もいたようで[NYT:12/07]、それと間違われている可能性もある。ゴウベイアの単独犯の可能性が強まっている。だが、12月11日になって、不服従軍人のマルティネス准将(国家警備隊)が、銃声を聞いて広場の演壇に設置してあるマイクロフォンに駆けつけたときに、(狙撃の照準用の)レーザーを照射されたと言い出した。ボディーガードが准将の首の後ろに映った照射点に気づいてひきたおし、結果として護衛が足に怪我をしたにとどまったと言う。[EU:12/12]

疑心暗鬼

 翌年の1月16日の午前0時四十分ころに、アルタミラ付近で再び発砲事件がおきた。車に乗った二人組が発砲音を響かせたので、警察が追いかけて捕まえた。[EU:1/16] これも後のフォロー記事がない。状況からすればチャベス派による攻撃と考えたくなるが、それならそれで新聞がかきたてそうなので、単発の発砲事件と思われる。ベネズエラで単なる殺人はニュースにならない。今週は何十人殺されました、とまとめて報道される。

 2002年9月のアルカラ殺害事件の例もある。その時は、事件直後に暗殺だろうと思われ、反政府派の怒りをかきたてた殺人が、一月後に金銭トラブルによるだと判明した。こうした単発の発砲事件では、一般的な治安の悪さのせいか、それとも政治暴力なのかの判断がつかない。そのうちに新しい事件が発生し、古い疑念は拭われも確証されもせず置いていかれる。

 12月から1月にかけ、暴力事件のニュースを受け取り続けた人々の間では、政治暴力の激発に対する不安が、ほとんど病的レベルにまで高まった。スト参加者については、先の展望のないまま休職状態が続くことが効いていた。中産階級地区の居住者が、貧民が大挙して略奪に押し寄せるのではないかという恐怖にとらわれ、銃を購入して自警団を作りはじめた。これには野党の市長も驚いて、人々の過剰反応を戒めた。

 チャベス派に対しては、不服従軍人や政治家から、ボリバル・サークルに政府が武器を流しているという告発が続いた。チャベス派に武器を持った者が多数いることは間違いないところで、それが黙認状態になっているのも確かだろう。だが、ボリバルサークルが隊伍を組んで武器を見せ付けているわけではないし、銃規制が甘いベネズエラでは銃の携帯自体はそれほどショッキングなことではない。武装化の実態は私にはわからないというのが正直なところだ。

"http://suzutayu.s156.xrea.com/Venezuela/index.php/%E4%B8%8D%E6%BA%80%E8%BB%8D%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%90%88%E6%B3%95%E7%9A%84%E4%B8%8D%E6%9C%8D%E5%BE%93" より作成

このページは 230 回アクセスされました。 最終更新 2006年12月3日 (日) 06:11。 Content is available under 帰属-派生禁止 2.5 .


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