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マヌエル・ロサレス

出典: Suzutayu's「べネズエラの政治」

Manuel Antonio Rosales Guerrero

新しい時(UNT)の指導者でスリア州知事。2006年大統領候補。

スリア州コロン市サンタバルバラ生まれ。

コロン市の民主行動(AD)の党組織で活動した。1983年から1994年までスリア州議会の議員を務めた。1996年にベネズエラ第2の都市マラカイボの市長になった。このときの州知事は、チャベスの盟友フランシスコ・アリアス・カルデナスであった。ロサレスは1998年に民主行動の候補としてアリアスに挑んだが、落選した。

1998年の選挙ではウゴ・チャベスが当選し、旧二大政党の民主行動とコペイは手痛い敗北を喫した。ロサレスはここで思うところがあったらしく、2000年選挙では新党「新しい時(UNT)」を作って再度立候補し、当選を果たした。スリア州は人口でベネズエラ最大、油田を抱える超重要州である。

2002年から2003年の激しい政治対立で、ロサレスの影は薄かった。それがかえって良かったのかもしれない。次の2004年選挙では野党が大敗したが、ロサレスは再選を果たした。その時まで最有力候補と目されていたエンリケ・メンドサ、1998年でチャベスと戦ったエンリケ・サラス・ロメルはこの選挙でともに落選した。当選できた野党知事はたった二人で、その一人になったロサレスの存在感は増した。

2006年大統領選挙では、長い長い調整の末に、8月になって野党の統一候補と認められた。ライバルだったフリオ・ポルヘステオドロ・ペトコフは、ロサレスのキャンペーン・チームの一員として働くことを承諾した。その他主要な政党はロサレスのもとに集まった。泡沫候補は幾人も、ロサレスへの投票を呼びかけて立候補を辞退した。だが、民主行動 (AD) の態度は違った。チャベス政権の下では公正な選挙はありえないと主張し、棄権を呼びかけた。この方針に対しては、ロサレスの地元スリア州や、党の労働局を中心に反対が起こったが、民主行動(AD)の執行部は頑くなだった。

ロサレスがチャベスに勝てると観測する人は、選挙戦の初めからいなかった。クーデター未遂と石油ストで、野党の政治的信用は傷ついてしまった。しかも近頃のベネズエラは石油価格高騰のおかげで景気がいい。大統領の支持率も上々で、今は誰が立っても対抗できる状況ではない。ロサレスは、石油収入を貧困対策にあてる、というチャベスの政策を追認するような公約を説いた。2年前までの激突政治を引き継がず、将来をみこして新しい状況に対応した反対勢力を作り上げていこうということなのかもしれない。

"http://suzutayu.s156.xrea.com/Venezuela/index.php/%E3%83%9E%E3%83%8C%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%B5%E3%83%AC%E3%82%B9" より作成

このページは 956 回アクセスされました。 最終更新 2006年12月7日 (木) 22:34。 Content is available under 帰属-派生禁止 2.5 .


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