フランシスコ・アリアス・カルデナス
出典: Suzutayu's「べネズエラの政治」
Francisco Arias Cárdenas
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反乱軍人の切れ者
元軍人の政治家。現役時代に革命的ボリバル運動200に加わり、組織内できっての知恵者とされた。
1989年に首都カラカスでパス料金値上げに抗議に端を発したカラカソという暴動が起こると、アリアスは部隊を率いて鎮圧するよう命じられた。人民のために戦うことを望んだアリアスにとって、このような形での治安出動は本意ではない。彼は部下の兵士を前にして演説した。「この中にカントリークラブの出身者はいるか。」カントリークラブは、カラカスの真ん中にあるゴルフクラブで、富裕層の象徴のようなものである。誰も答えなかった。アリアスはそれをよしとして、人民に対する発砲を厳重に禁止し、カラカスの街に入っていったという。
そういうエピソードはともかくも、軍による民衆弾圧は軍内革命派にとって衝撃的な事件だった。それまではただ存在するというだけだった組織は一気に行動に向けて活性化し、1992年2月に兵を起こした。4F反乱である。アリアスはスリア州の州都マラカイボの制圧に成功した。しかしこの反乱は、ウゴ・チャベスが指揮した首都攻撃部隊が敗れたため、失敗に終わった。
スリア州知事
次のラファエル・カルデラ大統領が恩赦してくれたものの、反乱参加者はみな軍から追われ、制服を脱いで政治活動にとりくむことになった。選挙に不信を抱くチャベスに対し、アリアスは早くから選挙に打って出ることを主張した。左翼政党の急進大義の支持を取り付け、スリア州知事として立候補した。スリア州は石油を産み、経済的に重要な西部の大州である。 見事当選したアリアスは、チャベスより政治家として一歩先んじることになった。
1998年大統領選挙では、自分の再選のための運動を一時なげうってチャベスを応援した。結果はチャベス、アリアスともに当選をはたし、友情は美しく実を結んだ。急進大義はこの選挙で大敗し、唯一の州知事アリアスに文句をつけるほどの力がなくなったため、こちらも問題はなくなった。もっともなぜアリアスがチャベスの第五共和国運動に復帰しなかったかは謎である。
チャベスとの対決
アリアスはチャベスの強権的手法、とりわけ分権化の軽視に対して、1999年春からしだいに批判をはじめた。支持率絶頂時のチャベスに対して盾をつきはじめたことになる。2000年選挙では、チャベスの対抗馬として立候補を決意した。チャベス派はアリアスのことを「政治的魔術師」「マキャベリスト」「ユダ」と非難した。当初は支持率が低かったが、チャベス批判票を集めてしだいに力を伸ばし、一時期はチャベスに対して10ポイント以内の差に迫った。選挙延期後は資金不足でキャンペーンの規模も低下し、7月31日の選挙では4割に満たない得票になった。
組織基盤が弱いところからの出発とすれば、善戦した方かもしれない。 ただし彼にとってまことに不本意だったのは、この得票がどちらかという富める人々に依存するものだった点である。アリアスは気持ちとしてはなお左翼で、チャベスの政治手法に反対したのである。
大統領選挙の後、アリアスに向けられた期待の風はぴたりと止んだ。ベネズエラの選挙民の冷淡さかもしれないが、アリアスの方で組織力に欠けていたことも否定できない。アリアスは若干の議員とともに「連合(ウニオン)」という政党を作ってチャベス批判を続けた。2004年には自党の制止をふりきってスリア州知事に立候補し、得票率0.6%の結果に終わった。マスコミの脚光を浴びているときは大きく見えるが、選挙ショーが終わると周囲に誰もいないという現象は、アリアスに限ったことではないようだ。政治家側より選挙民の側の問題である。
チャベス派に復帰
アリアスはここで自らの行動を誤りだったと認め、チャベス派への復帰を交渉した。チャベスは国連大使のポストを用意してアリアスを迎えた。
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