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イレネ・サエス

出典: Suzutayu's「べネズエラの政治」

Irene Sáez Conde

 1961年生まれ。19才のとき、1981年のミス・ユニバースになった。美貌の40代。もとい、美に対する価値観は人それぞれ多様であるが、私鈴田の目には美貌と感じられる(という表現をするのが学問的に正しい姿勢であるとの指摘を受けた)。

 1993年から連邦地区(カラカス)の構成都市の一つ、チャカオ市の市長をしていたが、1998年の大統領選に出馬することを決意した。背景に政党組織らしきものが何もないのに、爆発的な人気を得て有力候補になった。選挙前年までの世論調査では、過半数の支持を得ていた。

 小政党の「民主的要素 (Factor Democrático) 」の他、早くから急進大義 (LCR) がイレネ支持に回った。イレネ自身が率いる「イレネ運動とあわせて3党で、1998年5月に選挙組織として「変革勢力(La Fuerza de Cambio)」を結成した。ちなみにイレネ運動の正式名は Movimiento Integración, Renovación y Nueva Esperanzaで、統合刷新新希望運動だが、もとより誰もそんな呼び方はしない。イレネ個人用の政治組織である。正式といえば、イレネはファーストネームなのでサエスと呼ぶのが正しい感じがするが、これも人々の呼び方にしたがっておこう。急速な膨張とともに様々な構想の持ち主が合流したためこの時まで採るべき政策を決めていなかったので、変革勢力の結成にあわせて政権100日構想を発表した。

 その発表の6日後に、コペイがイレネ支持に合流してきた。かつての二大政党の一方であるコペイの合流は、組織力がないイレネには大きな助けになると思われたが、それまでの傘下政党である民主的要素と急進大義は反対した。コペイの合流が議論されていた4月に、民主的要素は、コペイが出す条件に屈するな、とイレネに要請したが、イレネはこれを無視してコペイの支持取り付けに動くことを決定した。コペイにとって、イレネに条件を付けて転換してもらわなければならないような相違点はあまりなかったというのが事実である。

 選挙公約では、行政改革を断行し、分権化を進めることに重点をおき、公共サービスの改善を意図している。経済政策面では、財政の均衡と通貨の安定を重視する。ブレーンの間でも、インフレーション対策が優先課題ととらえられていたようだ。税制改革(増税)と民営化に触れていないことを除けば、ラファエル・カルデラ政府後半期のテーマを引き継ぐものとみなしうる。イレネは選挙キャンペーンの開始を「わが国を統治する形を、暴力なしに、抜本的に変える」という言葉ではじめた。彼女の構想は、政策方向を変えることまではせずに効率よい行政を展開するということであろう。

 大政党コペイの合流で、いったんはチャベスに水をあけられたイレネ票は大きく挽回するはずだったが、意外にも世論調査結果はコペイ合流後にさらに低落しはじめた。旧政党コペイのイメージは、まったくマイナスに働いたのである。ついで7月、急進大義がイレネ支持を撤回した。イレネ運動が連邦地区で民主行動 (AD) との選挙協力に入ったことが、急進大義を失望させたのである。イレネは、自分とイレネ運動は一体ではないし、自分が独立系の市長だったときにも政党と協力することは拒まなかったではないかと説明したが、急進大義をとどめることはできなかった。支持率低下はサラスに抜かれることで加速し、11月には数パーセントの弱小候補に転落した。チャベス対サラスの構図が明確になった11月末に、コペイはチャベス当選阻止のために、サラス支持を決定し、イレネを見捨てた。大統領選挙での彼女の得票はわずかなものだった。昨年までの本命候補の劇的な転落だった。

 とはいえ個人政治家としてのイレネの名声はなお絶大だった。翌年1月、ヌエバエスパルタ州知事に当選したラファエル・フチョ・トバルが病死すると、イレネは後任選挙での立候補を決意した。コペイが後援を打診したが、イレネはこれを蹴り、今回はチャベス与党の愛国極の後援をとりつけた。一時期の第五共和国運動内部には、首相職を新設してイレネを迎えようかという話も出ていたから、愛国極側に抵抗はなかったのである。1999年ヌエバエスパルタ州知事選挙でイレネは71%の得票率で当選し、前年の転落イメージを払拭した。

 しかし2000年選挙が近づくと、与党だった愛国極諸政党の州支部がイレネに反対しはじめた。10月に社会主義運動が、11月には愛国極の全政党が、イレネの再選に反対した。彼らは1月に知事辞職を求める住民投票を行うと姿勢をとった。その声明はイレネの人格を全面的に攻撃しているが、具体的に何がまずいのかについては、出席が悪いこと以外にはあげられていない。その頃イレネは妊娠しており、その経過が悪いということで留守がちであった。イレネはルイス・ミキレナと話し合ってから、2月に州知事職を一時的に停止し、次の選挙での立候補もしないことを決めた。

 イレネはそのまま政治から引退してしまい、以後の政局について何も語らず、動かずにいる。

"http://suzutayu.s156.xrea.com/Venezuela/index.php/%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%82%A8%E3%82%B9" より作成

このページは 247 回アクセスされました。 最終更新 2006年11月29日 (水) 15:31。 Content is available under 帰属-派生禁止 2.5 .


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